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tel 『 i の酷舶 』
静かに静かに書き始め、ゆっくりと、書き連ね、完成させなければなりません。ここは未来軍の司法薬師局13番地にある民事簡易裁判所で、私は司法調査員からの取り調べを受けている状況です。罪状のような状況としては花を抜いて移植しようとしたこと、その先の生存を知らないのに、です。知らない知らない知ろうともしなければ知りたくもなかったことはそれだけではないのですが、ひとまず歯車をよいしょと一つ押し出すように、聞いたことのある質問が繰り返されました。
どうして貴方はその花を抜こうとしたのですか。
知りません。私は一つとして、その花がそこでこそそのように咲き始めた咲いたのか、それともそこでもなく何処でもそのように咲き得たのか咲いたのかということを、知りたかったんだと思います。私は自分の動機の完全を知りませんし知ろうとも思っていませんが、その他に知りたくもなかったことのあることを知っています。
確かめることの意義は何ですか。
意義と意味が同じ意味であるとして、既に意義も意味も破綻し無意味と化しています。私はこのような状況の全体を脱するための切り札として、選ばれているような気がしたので、その私の手札としての可能性を確かめる、触れたかったのだと思います。
全体状況とは何でしたか。
いつから何がどのよう でなかったのかという、至極単純であり難解な状況です。いつから何がどのよう でなかったかを知る為の私達からこそ何かがそのようとしては失われているので、私達はこの難問の足元に辿り着くことさえ出来ないような気がしているのです。不思議か魔法の地図の示す到達地点も出発地点も地図の遥か外にあるかのような難しい状況にあります。私達はいつからどのよう でなかった でなくなったのかということを、本当の意味で想像するは厳しいです。私はこの困難さと困難解消に要する飛躍についていつも頭を悩ませています。
それは誰の為でいつからですか。
誰の為でもありません。花の為とも言えません。根がどのように張り得るのかを知りたいのです。私はその他のことを本当に何も知らないし、知ろうともしない、知りたくもありませんと思います。私は白い白痴なのです。無罪です。生まれたばかりの瞳をしています。そこに映るはそのままの色であります。私はその花をその花の為に抜きました。それはその花にお前が、そこでこそそのように咲く花となったのか、それかお前元来はそのように咲く花であるのかを知らせたかったからだと思います。その他の動機も欲求も存在はしませんでした。関係性については悪しからず。
その先の土は?
育てていると思います。抜いて持ち去ってきた花の為に。その花がその土の上でどのような咲きを見せるのかということを知る為の、ニュートラルな土壌を育成しています。その土壌農園は私の後ろのすぐそこにあります。具体的現実世界に於ける環境情報や座標は関係ありませんし役立ちません。それは私の背中の後ろにいつも広がっているのです。風除けという訳ではありません。むしろ激しいモンスーン気候かも知れません。私は何を言いたいというのでもないのですなく、ただ花の咲き方、その妙を知りたいのです。花がその色と形に苦しんでいる時のところにいつも備えて。私は建設工事の出来る大きな蜂です。群像性の無い一人蜂で、大体の花とお喋りすることが出来ました。私の前では全てが花になりその雄蕊雌蕊を晒してきましたくれました。私は残滓のお裾分けをして頂くのです。未来の為の過去を今現在の具体物として口移しされ、それが自己体内の酵素により発酵を受けた後、私の一人部屋に永遠に保管されながら、時たま覗く私の意識にとある重大なメッセージを投げかけてくれる。各々、一つずつですよ。何が出てくるかは分かりません。そもそも期待なんてしてはいけないのです。それが土を花の為に育てるに必要なる諦観でもあります。
今はどちらに行きたい?
上、それか下、とにかく地面か天空に関する方向性を再確認したいです。私が食べるということが本当に必要なのだろうか。眼球が眠ろうとしている今だから。外の電光が内側の月光よりどうしても明るい。明晰を装った混濁の中でお互いの輪郭が交錯しているのを知っている。私は花の蜜か花粉に酔っていることを知っているのに、チェイサーとなる泉の水をガラスのコップ一杯でも飲み干す気にもなれない。不思議といつの間にか、久しぶりだね、このままを酔っていてしまいたい。
そのままで帰ってこれます?
かえることはいつも出来る。下戸下戸、ゲコでも。あらゆる評価基準を投げ出して野性の感性によって方向を決したならば、
何処まで何を信じればいい?
重要なことは人間の信不信だ。人間の人間に対する信と不信だ。人間に対する不信があるなら何をやっても駄目だ、結局は全てがそれになる。まずは人間を信じることから始めろ。かなりの多数の思想や思考の根源としてあり得るは不信という negativity で、これを当初に回避することは最大困難でありながら最高に有益だ。最初の感情に関する対する統制権を奪還すること。人に生まれたのであれば人を信じる習慣を待つ持つが得でありどくどくとした徳。
お前最初から何を言いたかったか?
花を抜いたのは他でどのように咲くのかどのような花としてあり得るのかを知る為だった、あとは人間の信不信という根源感情について、地図を使うなら北を北に揃えろ、リアルな現在地を特定して目的地を枠内に収めろ、俺はとっても眠いんだ、抜いたばかりのラベンダーとセージの香りに包まれて、色はともかく匂いは一緒だと、納得して今日の帷を降したい。赦してください神様、許してください大地、許すと致しましょう私、骨を解いて肉の膜に戻りましょうよ是非私。
これでもう終わりだ
状況は全体として成就される
されているしされていく