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寓話 『 斬首継承 』
ある国では、ある日全員斬首して次世代に継承する。地、血、智、が統合された意味での《 ト チ 》をつぐ為に(つぐという音には沢山の意味と形象が与えられる)、この地では首長の死に際して纏まった数の人間が殉死、準死する。あらゆる固定観念と集団圧力を離れて、いやむしろそれらを廃して呼吸を、呼吸をさせる為に。自世代を含んだそれ以降の次世代を可能とする《 ト チ 》という最大原初の空間の母屋に、大きな呼吸と循環をさせてやる為に。
この特定の壮大な習俗は極めて自然発生的と言えるものだった。勿論、あらゆる文化的人為の発生をその根源にまで辿って行けば、そこには自然か神意や神威としか呼べないような力、動機としての力、力の渦巻きの興る端緒のようなものが、認められるものである。数千年後の時代から振り返って《 ヂ マワシ 》と呼ばれたその習慣の発生的根源とは、翻り何だったのか。どこに根拠と礎を認め、見つけるのかが、わたしにも難しい。主語を明示しなければいけない言語と、そうでもない言語あり、そして今わたしは不分明の言語を母体として自我という絶対の落とし子を生もうとしている。よってわたしはむしろ、この特定の壮大な習俗の発生起源を、同じこの国で嘗て完全に遺棄され唾棄された一人の奴隷とその聖なる番の、慟哭と衝動に帰そうと思う。
遺棄され唾棄された方の彼、彼の名を仮にアレンとしよう。彼は生きてアレンと呼ばれることもなくあり得なかった。わたしは彼が肚の中にある時分に母である女からその名を呼ばれていたことを、憶えているのだが、彼がその後に彼女からアレンと呼ばれることも、彼女が彼をアレンと囁きながら自らの腹ではなくその子の頭を撫でることも、彼の口に乳が注ぐこともなかった。彼と彼女は、何処の誰でもよかったのであるが、例えば隣国か遠方の島国の庶民か王族の母子であるとして、その後に壮大な習俗を生むところの件の国からやって来た略奪集団に略奪された。件の国からやって来た、貴族かつ戦士階級に属する一団の人間から、適切に略奪され蹂躙されたのである。その母子いやその子以外に関しては最終的に虐殺された。それは単なる殺害を超える意気と営為であったと言っていい。今その端緒が示されているところの件のプロセスは、当初、このようにして始まるものだったのだ。
件の国は、近傍からか遠方からか、何処か、それなりと思える規模と構造の領域から、それなりに感じられる地位と霊位にある人間を、持って来た、攫い、自分達の構造と地位の最底辺に、据えた。そして作為無作為による虐待を繰り返す。死ぬまで終わるまで繰り返す。その期間が構造の上下を貫徹する任期のようなものだった。いや、この国の暦を規定しながら進展させる、絶対的な一個の任期であった。貴族階級の人間が王位に就く、するとあぶれた貴族階級の者達が外地へと遠征に出て、外界のそこらを収める別の貴族か王族周辺から上等な人間を一人選別して連れて来る、そして彼か彼女を出来るだけ永く永遠と拘留し虐待しながら存命させ、その期間を、一個の王位の任期と一致させる。その為に王と被虐体の双方にこの国あらゆるの治癒と治療の法が注ぎ込まれ、勿論後者にはそれを越える量かつ強度の虐待と遅滞の術が持ち込まれそして、もうどうしようもなくどちらかの命が消えるであろうというその日に、時刻を合わせてその双方が斬首される。そして王の間にて向き合わされたこの一対の首を囲んで、次の王位を定める会議会食が開かれる。次なる王位に就くものはその回に座しているテーブルに、次回は双対の首の一方として差し出されることを知っている。向かい合うもう一方の極首に誰が来るかは知らない。双方在位の生存中も顔を合わせることはない。往々にして言葉が遠くて異なるし、しかもお互いにまるで違った感情的発達(か遅滞)を遂げていくので、一定の時分を過ぎては遭遇しても相まみえることは不可能だろう。このような細部を含めた全態を把握した沢山の聡明が、次なる王位を定めようとするのだが、これは誰しもが口にせず思いもしない真実の一つとして、王の選定基準は被虐体のそれより厳密でなく重要でもない。地球を埋め尽くす数多の人間共同体の内の暗黙裡なる典型として、この国の王の姿形は奴隷のそれが決めていた。よって王として在位中の意思決定に聖奴調達を果たした貴族が(まるで院政を敷くように)摂政として介入して陰の王として機能し君臨することもままあった。そして裏の王ともなる程にこの国の全態を眺めたものにはよく痛感されるのである。自分の選んだ聖奴の出自や元来の性質がどうしてか、その影となって王の身に多大な影響を与える。王はこのことを知る由もない。しかし陰の王もこの仕組みの全景を知る由がない。ただ一人王の影となった聖奴のみが苦痛と忘却の中でそのような仕組みの全体を、その身失いながら取り戻していく。テーブルに据えられた二つの首の双方に、別種ではあるが揃うか競う程の威厳が宿っていることを、いつも次なる王と成り得る貴族諸君は不思議に思う。得も言えぬそして知りも得ぬ仕組みの全体の顕れのみを感受しながら貴族らは自らの同胞を次なる王に選出する。そして王となった者以外は物言わずその日から聖奴調達の遠征に出る。後日聖堂に並べられた近傍の王族か貴族から誰が聖奴とされるかは議論なく自ずから決まる。どうしてなのか分からないが次なるパズルを進め行くための最初のピースが自然と選ばれて決定される。このような自明性の為と、このような宗教的自明性に支持されたこの国の実際的な力を背景として、地表上のどの国もこの壮大なる特定習俗の一つに異議も反対も申し出なかった。聖奴を選出された側でも不思議な仕組みの一端が展開されて、何某かの自明と自然の恩恵が実現されていたのかもしれない。
この構造と動態の全体を支えた主たる熱意は何らかの永続への熱望であり、主たる不作為は他の衆生による無視であり肯定的な黙示と看過と言い換えられる。極星を望む流転とその全空を満たすダークマターがここでも必要みたいで、そのような関係性が極めて精妙なる塩梅で維持されていた。そしてこの精緻精密たる構造的狂気を内から打ち破ったのも一個の明晰たる対抗狂気であり、その主の名はマカクと言い彼こそが自らの聖奴の双子たるアレンを国外に追放し、その者が王として元来の自国へ帰ったという知らせがこの国に届く迄は、この習俗を再開してはならないと全国民に告げた上、自らを王に選出した貴族共全員の首を自分の首と一緒にギロチンで落として王の間に総覧させた。首とその目と自存在を次世代に見せつけてそれ迄の業のあらゆるも含めて継承させた。そうして壮大なる特定習俗の一つは大きく刷新されつつこれもまた継承された。全体的な継承を成す人間の業と行のミルフィーユがここにある。
その一層を成す重層構造を打ち破る契機となったのはアレンの慟哭であった。マカクの終局的憔悴を感じ取ったアレンは持てる力を振り絞って鎖を破壊し、塀の外へ飛び出ることなく内の迷路を疾走して王の間へと辿り着いてその扉二枚向こうの寝室に忍び込み、新月の闇の中で聖奴の双子の夢を覗き込んだ。すると確かに王の夢でのヴィジョンは今のアレンの現のそれと重なっているようで、王は夢の中で眠る自分を眺めていた。アレンは、毎夜未明まで続く日常的拷問から開放された後に夕刻までを眠りながらいつも見ていた夢のヴィジョンは、昼間の光を生きる王の現のそれであったことに思い至った。壮大かつ精緻精妙なる仕組みの主線がその時にここで開示され、その衝撃に慟哭したアレンの絶叫に王は起床したので、マカクとアレンは初めて、互いの夢であり現であるを起きながらにして覗き合うこととなった。そしてこの時にアレンは、苦痛と憤怒と虚無を湛えて死の奈落そのものとなったような眼腔の底から、溶ける硝子みたいに透明な涙を流しながら、始まりを憶えているかと、何処からか泉のように湧いて来る、自国の言葉で王に尋ねた。首を降る王は偉大な証人としてこれを聞き入れて、これを充分に聞き届けてから、寝台の傍に置く王剣を鞘から抜いて聖奴に未だ絡み付く、手枷足枷の残骸に切先を触れた。するとそれが鍵のようにして聖奴を解き放ち彼アレンは王の目醒める夜の闇を疾走して城壁外の砂漠へ、国外世界へ躍り出た。王はその後に件の発令を御した後、ギロチンの数を殖やし王の間に並べ、今宵の私の死よりは統治王の斬首と共に諸貴族の主らもギロチンに臥し、その首を刎ねて晒す、次なる王と諸貴族の主は各々の旧長の首を、その目を合わせて眺めること、これを持って斬首継承とす。
数世代を経て人々はとても幸せにそして長生きとなった。
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その後その国近傍のオアシスで、アレンは棗椰子栽培を始めそれなりに流行ったらしい。国と時を跨いで渡る竜であるわたしはそれを食べないが、喉と言葉を潤しにそこの泉と、無名無冠の王となった彼とそのオアシスの民々を、遠い昔に訪れたことがある。人間の時間に合わせてその歴史に触れる時、わたしは漸く私となって、暫し羽を休めることができる。あらゆる物語は竜の息継ぎに過ぎない。時空を煮詰めたようなその息吹の一つに、人間は一生に一回の嘆息を漏らす。