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過去の辛かった経験を話す時、急に性格が悪くなる件について

過去の辛かった経験とか
過去にしてきた苦労とかについて
話すことがあるとして
そんな時、どうも素直になれないというか
カッコつけてしまうというか
逃げてしまう自分がいる気がします。

確かに辛かった経験とかしんどかった経験とか
あるのはあるけれど
今振り返ると案外大したことなかったかな、と思うし
私よりもっと辛い経験をした人なんて
たくさんいるだろうなぁ、とかそんなことを思うと
「私、○○が辛かったんです」
と話すと、何だかいかにもお涙頂戴的な感じがして
どうも話せないのです。

逆に
「辛かった経験…特にないです。
今振り返ると良い経験だと思うし、現に今生きてるし」
みたいなことを話すと
ポジティブ思考が全てです!みたいに思われて
いけ好かない人め、と思われるんだろうなぁ、と
余計なことを考え過ぎてしまうのです。

そんなことを改めて話す機会というのも
まぁ、そもそもほとんどありませんが
ネガティブな経験、ネガティブ寄りの経験を
単なる不平不満・愚痴を言うことが目的ではなく
自己開示→解放、発散、心理的距離の接近
などを目的として話す場面でも
照れくささと恥ずかしさとカッコつけたがりが発動してしまい
結局後者に近い形で話して終わり、というパターンが多い。

面倒くさいですね(笑)

自分をさらけ出すこととか素の自分を見せるとか
そんなことが苦手で
自分の中で分かっておけば良い、自分が知っていれば良い、
それで良いのだ、
と言うか、過去は終わったことだし、と
辛かった経験、しんどかった経験などのような
ネガティブ寄りな話になると
性格がちょっと悪くなる気がします。
性格が悪いってどういうこと?というのは一旦置いておいて。

自分の中でそのような過去の経験から逃げているのか
それに向き合いたくないのか
そこまでの学びを得ていないのか
重要視していないのか…どうなんだろう。

でも、自分以外の人が話す
「過去の辛かった経験」は本当に、心から
聴くことができます。
仮に自分が同じような経験をして
さほど辛くはないかも?ということも
‘辛かったんだろうなぁ、大変だったんだろうなぁ’と
共感に近い形で受け止めて聴くことができます。

あ、「過去に怒った経験」は何も気にせず話せる!
ということに今気づきました。

涙を流すような話に対してだけ
性格の悪さが出てしまうのかもしれない。
泣くことが私にとって何かカギになっているのかな。

そんなことを考えた次第です。

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