jazz a go go
浴びるようにジャズが聴きたい!!!
そう思った夜に限って月曜だったりする。
iPhoneが変換する電子音楽も、昨今たいへん機能的です。
ただ、やはり土俵が違う。
あの空気の振動、指が弦を弾く瞬間、空気が震える。短い周波がやがて鼓膜に届く。その終始を漏れなく浴びたい。居合わせていたい。
ブラシでスネアを撫でる。色気を音にしたらばこうなる、と教えてくれる。
鍵盤をたたく、ハンマーが弦を震わす。反響して耳に届くまでの数秒に介在する埃やチリ。空気。
全てが細胞に染み渡っていく。生き返っていく。
水の中へ飛び込むのと、ほぼ同じ要領で、息がし易くなる。
わたしはミュージシャンではない。
尚一層、それは脳みそに働きかけない。
生まれたての音を、初めて身体に入れるその瞬間に、どこか体の奥からじっとしていられない何かが衝動的に溢れ出る。
文字通りじっとしていられなくなる。
ミュージシャンは羨ましい。
奏でたり、歌ったり、しながら会話をする。
ジャズをする人は尚更。
わたしは踊るよりほかに自己表現を持ち合わせぬ者としてそこへ参加する。
するとどうだろう、疎外されるかと思いきや、案外馴染む。
それはわたしの力ではない。まさしく音を出す彼らと彼女らの好意。
お客を楽しませようとするよりもっと以前に、演者は自分たちが音を出すことを際限なく喜んだり楽しんだりしている。その"振れ"が大きければ大きいほどまた、同時に、彼らは責任を背負っているみたい。
浴びるほど音楽を聴きたい。
死ぬまでお酒飲めないよ、と
死ぬまで音楽聴けないよ。
だったら、間違いなく酒を捨てます。
と言うのもバーになんて入ったこともなかった私が大学四年生の春に出逢ったその老舗のミュージックバーのおかげであったりする。
電話の向こうでアルトの女性が「はい」と応える。
「働かせてください」と言うと一度店においでと言うので、ナイキのスウェットに穴のあいたジーパンで北野坂を登った。
地下へ降りる。
木の扉をひく。
恐る恐る足を踏み入れた先には魔女がいた。
アルトを響かせながら、薄い唇でにこりと笑い、「コーヒー飲む?」と尋ねる。
わたしはカチコチになりそうな手足を必死でグーパーして「はい」と言った。
「音楽はするの?」
「いえ、好きなだけで。吹奏楽部でした。」
審査らしい審査もないまま、カランカランとまたドアベルが鳴る。
「あぁおかえり。」
店長とオーナー、それぞれ。親子で営むそのお店。ここへ来ると私はいつも、バレないようにそっと壁や天井を眺める。ちょっと触れてみたりもする。
長年音楽を吸い込んできた木や石膏が、この空間をなによりも"ここ"たらしめている。
「うん、いいんじゃない。ウチへ来てもらおう。」
満場一致で二人が一瞥をくれる。
「よろしくお願いします!」
よく働く自信だけはあった。
それからと言うもの、わたしの音楽かぶれには一層磨きがかかる。
エラ・フィッツジェラルドにはまったし、眠る前にはビル・エヴァンスを聴くようになった。
わたしはミュージシャンではない。
だけど音を選んで聴くようになった。
疲れた日にソプラノは少し痛い。
だからあのアルトに会いたい。
あなたの会いたい音を出してくれる人は誰でしょう?
あなたを癒したり背中を押したり叱ったり甘やかしたりしてくれる音は何処でしょう?
必ず持っていてください。
目を閉じるとすぐに逢えるところに置いていてください。
辛いときに限って人は独りだから。
孤独のそばには音楽を。
今夜もぐっすり眠れますように。
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