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【おもに人生観など。大人になるための切実な書きもの。】

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最近の記事

77メモリー

「皆さんも8月は、命や生きていることの大切さを考える、そんな月にしてみてください。」 NHKの音楽番組で、平和を願う曲を錚々たる歌手たちが唄っているなか、司会のウッチャンがそう言った。 77年前の8月6日、ヒロシマに原子爆弾が投下された。今は歴史になってしまった惨事。でも今も、被爆者たちはあの日と同じ空の下を生きている。 同年8月9日、ナガサキの空にも黒い雲と雨が。 1週間後の1945年8月15日、第二次世界大戦は終わった。 終戦、それはあくまでも誰も銃を握らなくて

    • ものを書くのに疲れたら

      五月の午後、なまぬるい風がゆっくり流れていく。高層階から眺めると交差点を行き交う人々はジオラマに散りばめられた人形みたいで、どこか現実感がない。大人になると多くの人が夏を嫌いになるみたいだ。悪足掻きみたいに初夏まで長袖を決め込んで、真っ黒のアームカバーと仰々しいサンバイザーに日傘まで装備して歩くご婦人の横で、さほど鍛えてもいない手足を潔く放り出したギャルが眩しい。 わたしはどこか気が遠くなってしまいそうになりながら、均質な気温が保たれたオフィスの窓際で、デスクトップのパソコ

      • 花明かり

        花が舞い散り、夜なのに明るく見えることを季語で「花明かり」というらしい。 桜にまつわる季語は、どこか明るい様子のものが多い。 けれども桜にまつわる私の思い出は、そうでもない。 京都には花灯路という催しがある。もっぱら、ここ二年ほどは中止。かの厄介なCOVIT-19のせい。 大学に入学してから二週間ぐらいしか存続しないお昼ごはんをたべるためのグループみたいのがある。 みんな初めのクラスで友だちが出来始めると、誰からともなく集まらなくなる。 そうした(仮)の面々で遊び

        • 言葉を捨てようと思った。

          いつも通り前置きが長いです、ごめんない。要は三段落目(最後のほう)にまとまってます。(それでも長ったらしい、、)読もうとしてくださっただけで、ありがとうございます。(・_・; 言葉を捨てよう、と思った。 わたしの敬愛する偉人の一人に、思想家フリードリヒ・ニーチェがいる。 彼が、あらゆる苦悩に苛まれた人生において残したことばは、その途方もない人生の略歴を客観的にきいただけではちょっと想像がつかないほど、案外明るいものが多くて驚かされる。 同時に、体調不良に見舞われ、療養

          jazz a go go

          浴びるようにジャズが聴きたい!!! そう思った夜に限って月曜だったりする。 iPhoneが変換する電子音楽も、昨今たいへん機能的です。 ただ、やはり土俵が違う。 あの空気の振動、指が弦を弾く瞬間、空気が震える。短い周波がやがて鼓膜に届く。その終始を漏れなく浴びたい。居合わせていたい。 ブラシでスネアを撫でる。色気を音にしたらばこうなる、と教えてくれる。 鍵盤をたたく、ハンマーが弦を震わす。反響して耳に届くまでの数秒に介在する埃やチリ。空気。 全てが細胞に染み渡っ

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          清水の舞台から

          結婚! ここのところ、次から次へと友人や先輩の吉報が届く。 なんとまぁ目出度い! 有り難いことに多くの友人が祝いの席に招待してくれるので、一生でたった数時間、だのに一生忘れない「結婚式」に幾度も参加させていただきました。 するとポツリ、独身の友人が「あーうらやましい、、」などとため息を落とす!私は面食らってしまう。 なぜ? 彼女には「うらやましい」結婚が、いささか私にとっては「うらやましくない」のだ、、! いいえ、これは皮肉や妬みで言っているのではありません。

          清水の舞台から

          酸化不飽和恋愛運

          とんと『恋愛』なるものに触れていない。 まもなく三十路を迎えようという妙齢の独身女性であるこの私が、果たしてどなたかを『好き』になるなどと言うことがあるのだろうか?(いや、ない)と見事な反語が聞こえてくるような気がしてならない今日この頃。 あの、もどかしさ。 何をしてもあぁ間違えた!と自信を失くしてしまう、あの甘酸っぱさ。 さて、今ごろどこで油を売っていることか。酸化して少し黄ばんでいる頃ではないだろうか、、、 『恋愛』をしたい!とか、どなたかを『好き』になりたい!とか

          酸化不飽和恋愛運

          朝夕冷える今日このごろ

          汚れたスニーカー。 彼の第一印象はそんなところ。 健康で快活そうな、店員さんにもきちんと「ありがとうございます」とか「いただきます」とか言える、いい子だ。 ただ、ボロボロでやたらピカピカの二つ折りのお財布を、ぎゅっとポケットに突っ込んでいるところや、靴下がちらっと靴のふちから見えているところや、それから、あとは、その汚いスニーカーが、とにかく子どもっぽかった。 人の趣味なんて変わってゆくし、変に自分のおしゃれみたいなものを確立していないほうが扱いやすい。 なんてお姉

          朝夕冷える今日このごろ

          つかの間、でいいので。

          そんなこんなで。 マッチングアプリの沼にはまった私の、なかなか抜けない泥まみれの足を引っ張り出してくれたのは、紛れもなく爽やかなキミ。 なんの邪気もないくったくのない焼けた横顔で、くしゃって笑ってタメ口でゆっくり話すキミ。 ああ、有り難う。 居るだけでいい、なんて。なんて。なんて心地良いキミ! 会った時からわかってた。「あわよくば」なんて気持ちをわたしに向けていないこと。純粋に、なんて言うと逆に不純だけども。あえて言うなら純粋に、わたしと楽しく時間を共有してくれるこ

          つかの間、でいいので。

          ファッキン・コンビニエンス

          なんて軽薄な時代だろう。 いや、人と人の距離感、なんてそんなものか。 気に入ればボタン一つで手に入る軽い浅い幸せ。 天国までは持ってけないよ。 手のひらサイズの液晶画面が暗闇の中で私たちの未来をぼんやりと照らし出す。 もはや行動の意思決定すら代行する四角いそいつ。 今日のBGMも、食べたいものも、会いたい人も。 ねえ、これは幸せ? 検索したら出てくるかしら。 あの気怠い空気が漂う夜に、いつまでこうしてうだうだしていればいいのかな、なんて明後日のことを考えなが

          ファッキン・コンビニエンス