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よみがえったスタニスラフ・ブーニン
かつて一世を風靡したというピアノの魔術師を覚えているだろうか。あのすらっとしたひげメガネの貴公子だ。彼の名を聞かなくなって多くの年月が流れた。あの華麗なるショパン弾きの青年は今一体どこで何をしているんだろう・・そんな思いが時頼私の頭をよぎることはあったが、時の流れに身を任せてお国では今もピアニストを続けているのだろうなと勝手に思っていた次第である。
そして最近久々にテレビを見て驚いた。なんと様々な身体的トラブルに見舞われてピアノから遠のいていたのだった。そんなブーニンが奇跡の復活をとげるまでのでの苦難の努力をドキュメンタリーで追うという番組の中で、彼の消息を知ったのだ。
ブーニンはかつて肩を痛め、そしてあろうことか足を骨折し、片方の手と足に大きな障害を負ってしまっていたのだ。この事実はピアニストにしてみれば、仕事の終わりを意味するほどの衝撃だったろう。一度は引退をも考えたブーニン。
しかし、献身的な日本人の妻によって彼の考えは徐々に変わっていく。もう一度聴衆の前でピアノが弾きたい・・・日本がとても好きだったあのブーニンは、サントリーホールでの復帰コンサートに向けて血のにじむような努力を始める・・
ショパンコンクールで優勝した18歳のころのブーニンはこう言っては悪いが、気取ったストリートピアノ弾きの上位互換のような雰囲気すらあった。それでも比べ物にならないほどの花と技術があったのだが。それが時を重ねて、「味わい」という武器を身に着けると、まさに本物のピアニストと変貌をしていた。
私は幼いころピアノを習っていたのだが、先生からピアノは弾くものではない、「歌う」ものだと教わった。弾く?歌う?意味すら分からなかった。鍵盤をたたけば音の出るピアノ、当たり前だが声などでない。かといって私が歌うわけにもいかない。歌ってしまったらただの弾き語りになってしまうではないか。
しかしこの番組は「歌う」ということを教えてくれた。そう。まさにブーニンの努力によって花開いた円熟のピアノは歌っていたのだ。左手が思うように動かないことなど問題ではない。彼は左手の技術を失った代わりにピアノを感動の道具として我々に語り掛けることに見事成功したのだ。私は蔵に入っていたレコードの針を20年ぶりにそっと落とした。