三十路式と称して祖母と母と(たぶん)最期の家族写真を撮りました。
ハタチの時、わたしは成人式には行かなかった。
行けなかったのではなく、行きたくないので行かなかった。
何十万もかけて、みんなと同じようなぎらぎらの振袖を着たいとは思えなかったから。
不特定多数の同級生と、思い入れすらない会場でわざわざ会いたいとは思えなかったから。
振袖の代わりに、母がスーツを買ってくれた。
だいすきなVivienne Westwoodのメンズスーツ。
着ることを口実に大学の卒業式にはちゃんと言った。
成人式の代わりに、産休中の先生がランチに連れて行ってくれた。
あとから馴染み深い同級生と合流もしたけど、式中はその先生を独り占めだった。
そういう付き合いがすきだった。
別に振袖じゃなくても家族と一緒に写真撮ればよかったんだけど、いつもと何も変わらないのに写真を撮る理由が当時のわたしにはなかった。
勿体なかったなと思う。
家族と写真を撮るのに、成人式は絶好の口実になったのに。
ハタチのわたしと10年前の祖母と母が納められた写真を、もう、どんなに頑張っても手に入れることは出来ない。
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80を超えた祖母が、年々弱ってきている。
少し歩くとすぐ疲れるようになった。
同じ話の繰り返しが増えた。
少し怒りっぽくなったようにも感じる。
随分痩せて小さくなった。
全て、老いである。
この先は、出来ないことが増えるしかない。
ここから、何かが劇的に良くなることはないのだ。
その事実を、わたしと母は静かに受け入れる準備を始めている。
そのひとつが、三十路式だった。
写真はきらいな人だから、祖母のためになんて言ったら行かないと言われて終わる。
だからわたしの30歳の誕生日を待つことにした。
あくまでわたしのための撮影で、あくまで祖母はその付き添い。
母と口裏を合わせて、そういうことにしておいた。
地元で撮ることも考えたけれど、おそらく祖母にとって最期の東京になるだろうと思って、無理をしてこっちに来てもらった。
ずっと浅草に行きたいと言っていたから、ついでにちょっとだけ観光もした。
少しでも人が少ない時間を、と思ってお店が開くより前に向かったのに、全然人で溢れかえっていた。
祖母は、お寺へ向かって真っ直ぐ歩くことすらしんどそうだった。
これが、静かな死の足音である。
そう思った。
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それでも、無理をしてでも、時間とお金を使っても、撮ってもらって良かったと思う。
それは祖母にとってというよりも、母にとって、わたしにとって、良かったと思う。
写真というのは、その人が死んだ後もずっと形を変えずにそこに在れるものだから。
遺されるわたし達の、生きる道標として必要なものだと信じている。
家族写真以外にも、遺影に使えそうな写真も撮ってもらった。
本当にこの写真を遺影にするかはわからないけれど、少なくとも良い写真がないと困ることはないので一安心だ。
写真の中の祖母は、笑っている。
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今回の家族写真と、海での写真は飯田エリカさんに撮影を依頼しました。
前々から、裸についてだけでなく生きることそのものに関していろんなお話をしてきた飯田さんにお願いしたいなと思いました。
飯田さんに撮ってもらいたい方がいらっしゃったら、下記URLに詳細が掲載されているのでぜひ↓
なにか特別な日でなくても、当たり前の毎日を生きていくために。
写真という記録媒体を上手に使っていいと、わたしは思います。
最後に。
飯田さんに愛と感謝の気持ちを込めて。
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Photographer : Erika Iida