好きの根っこ

遂に明日に迫る五関さんの誕生日なんだけども、なんだか実感がない。ハードな連勤が終わって力が抜けてしまった。いやー、もうベッドに倒れこんで寝てしまいたい!と思ってもこの、五関さんの誕生日まで毎日なんかしら書くって決めたことをやり続けてきた。誰のためでもなく自分の為に。なんでかはわからないけど、そうしたいと思ったから。だから、五関さんの誕生日のためってわけでもないんだ。ただ、大好きな五関さんがまた一つ歳を取るまでの数日間、いっぱい五関さんのことを考えたかった。ただそれだけのこと。

わたしが五関さんのことを好きになった当初からずっと変わらないのは、五関さんの生きているところが好き、ということ。
飄々として見えるし、無難だと言われがちだし、人間離れした体力の持ち主だし、見るからに生命力溢るるタイプではないと思う、五関さんって。だから仰々しい様付けされたり、凄く強い象徴とされたりする。
まあ、そういう感情がわたしのなかにも無いわけではないんだけど、でもやっぱり様付けは嫌いだし五関さんの内面とかに触れないで変なレッテル貼られるのも嫌い。否定したいとかそもそも出来る立場にはないから、わたしには合わないだけってこと。
少なくともわたしの目に見えている五関さんというのは、人間関係を円滑にする術に長けていて、ちょっと小狡いとこがあって、緊張するけどそれが表に出てこなくて、自分のことをちゃんと愛することができる、優しい人。そういう人だ。
そういう優しい人が、ひとたびステージに立つと目も眩むほど輝きだす。唯一無二のアイドルになる。今ここに生きている星、それが五関さんだ。

わたしのなかで、アイドルとはこういう人を指すのだ、というアイドルは既にいて。それを超えるアイドルは出てこないと思っていて。
事実、今現在も彼以上のアイドルは出てきていなくて。
じゃあなんでわたしの一番ど真ん中は五関さんなのか、っていうと。

正直まだはっきりとはわからない。
でも多分、このわからないという事が、五関さんを真っ先に追っていく視線の理由なんだと思う。
わからない、だから、知りたい。
後は、単純に五関さんの人間としての安定感に惹かれたんだと思う。
わたしはとにかく基礎がなくて、いつも溺れながら近くにある藁に縋っている。その藁が沈めば、また近くの藁へ。そうしていつも地に足がついていない。
だから、自分の両足でしっかりと地面に立って、そんなのなんでもない事だってふうに笑っていてくれる五関さんのことを見ていると、わたしもああやって生きたいって思える。
だから、五関さんが生きているということが、もうそれだけで好きなのだ。どうしようもなく。

明日はもうすぐ。
なんでもない一日が、特別なものに変わる。
五関さんの明日がとても楽しみだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?