残り全部バケーション
去年はVについて思うところを書いた。Vがもうとにかく好きで堪らなかったからだ。
Vで感じたことを、同じようでいて全然違うものを、またDolphinを聴いて書きたくなったので、残しておこうと思う。
戸塚さんの書く文章は、ぱっと見た時に文章量が多く見えるんだけど、読んでみると過不足がない。これ以上でもないし、これ以下でもない言葉しかない。
余分な言葉が悪いわけではないけど、勿論。
何かをよく見せたかったり、何かを誤魔化したかったり、そういう時って言葉に過不足が出るものだと思っていて。
戸塚さんの中から出てくる言葉が文章になるにあたって、推敲されているであろうことは疑っていないけど、フィルターで濾過された言葉がとても"戸塚さんらしい"もので、透明度の高い文章なのが、凄いと思うんだ。
それは音楽に乗せられても失せることはなくて。
音楽に合わせて作られた文章とは、歌詞を読んだだけじゃわからない。音に嵌められていく言葉じゃないから。歌詞でもあり、読みものとしての文章でもある。
それは誰にでも出来るようなものではなくて、技術とかそういう意味でもなくて、戸塚さんの感性で磨かれた曲と歌詞が一つになって、初めて生まれるものなんだろうなと思えて。
それは戸塚さんが歌手としてではなく、アイドルとして生きているからだとわたしは勝手に思っている。
愚かに燃やしていく今である今日を愛して、走り続ける先にある明日を待ち望んでいる戸塚さんだから、ステージの真ん中でコンサートの今この時の心の躍動を届けようとしてくれたんだろう。眩しいくらい汗が滴る笑顔が、本当に綺麗だった。
今まさに海から上がってきたような、引きずり出した意志を声に乗せているような、だから言葉に一片の偽りも曇りもない、そんなようなパフォーマンスだった。
自分本位であるようで、こちら側を置いていかない、そういう時間に浸っていた。
ピンク色に光るペンライトの海の中、屹立する濡れた戸塚さん自身が青い炎だったのか。
30歳になって一年。脂の乗った美しさと、すっきりと削ぎ落とされたかのような洗練と、やっぱり変わらない独特のかたちをした核と。
どこまで指が沈むんだろうと触れながら不安になってしまうほどの優しさと。
愛されることと愛することを惜しまないその数々の言葉たちと。
ただ見ていることしか出来なかったわたしは、見ているだけでも本当に幸せな気持ちになった。
戸塚さんに誘発されて書きたくなった言葉たちがある。イマジネーションを掻き立てる存在でいてくれて、ありがとうございます。
31歳の道程も楽しみに、出来うる限り取り零さずに、見ていけたらいいなあと思います。
お誕生日おめでとうございます!
タイトルは、Dolphinの一節から多分これはこうだろうなという、伊坂幸太郎さんの著書より。
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