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「トーベ・ヤンソンを知る」読書案内#9 こぼれ話:ムーミンと『聴く女』のつながり

少し日数が経ちましたが、「トーベ・ヤンソンを知る」読書案内 第9回を公開していただきました。

数回前より、ムーミン以外の本を軸に書くことになり、まずアンソロジー、次に年代順に紹介しようと考え、前回『彫刻家の娘』(1968)について書いたので今回は『聴く女』(1971)について書きました。


紹介の切り口に悩みました

紹介する本は決まっていたのですが、切り口に悩みました。ムーミン完結の次の本ということもあり、ムーミンとの比較という見方をまず考えましたが、ムーミンの本と『聴く女』は対立するものではない…と考え直しました。もちろん、必ずしも比較は対立を意味しませんが、簡潔に示そうとすると対立するように見えてしまうかもしれないと危惧しました。私の力量の問題もあります。

悩んだ結果、ムーミンと『聴く女』で扱われているテーマの連続性を書きました。類似のテーマが描かれながらも、新しい視点で書かれていたり、より踏み込んで書かれるようになったり、ヤンソンの表現に対する挑戦は、一つ一つの作品でばらばらなのではなく、続いているものとして見ることができます。

短い文章なので、全部のテーマをあぶり出せてはいません。「芸術」のテーマを『ムーミンパパ海へいく』から、「老い」のテーマ『ムーミン谷の十一月』から続くものとして挙げました。

「芸術」のテーマを扱う『ムーミンパパ海にいく』ママの壁画について

少しだけ本文で触れましたが、『ムーミンパパ海にいく』でムーミンママが壁に絵を描く場面がお気に入りです。この作品が全体として芸術を扱っているという意味ではなく、ママの壁画の場面のテーマという意味です。
ムーミントロールとムーミンパパがお茶の時間に帰宅すると、ムーミンママが見当たりません。ムーミンママは絵の前で眠っているとあとでわかりますが、絵が壮大で紛れてしまったようでもあるし、ムーミンママが絵の中に入ってしまったようでもあるし、現実と非現実の境界が曖昧な描写になっています。
ボリュームの問題もあり、読んでいて勉強不足であると感じたこともあり、本文では分析しきれていないですが、このような現実/非現実の描き方も、ヤンソンが書く作品の特徴のひとつです。原文も読み込んで理解を深めたいと思います。

細かいところだと、ムーミンママの描きかけの壁画に、ミイが自分も描きたいと言った時にきっぱり断るムーミンママの態度も好きですし、ママの言うことなら守るミイには二人の信頼関係が表れているようで、そこもお気に入りです。

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