子供へ厳しく接する意義とは?
あるテレビ番組での父親の発言。
ひきこもりが続き大学を休学。自立支援施設に預けられた20歳過ぎの息子に迫るドキュメンタリー番組を観た。
その子は成績優秀で、親の期待に応えるために必死にくらいつき、県内随一の進学校から有名大学に合格した。
ゼミや卒論までくると、自主性が求められてくる。彼は与えられた課題をこなすのは得意だが、自分で考えることが出来なかった。
自分が何をやりたいのか?
何をするべきなのか?
何を考えればいいのか?
それもわからないまま、ここまできてしまったことを後悔し、挫折してしまう。
父親はいつも命令口調で、なぜできない?の一点張り。父親からの怒りに任せた『そんなことができないなら死んでしまえ』という一言に傷ついてしまう。
インタビューで父親は『これだけ厳しく言ったんだし、何か伝わっていますよ』と言う言葉とは裏腹に…
【父さんは、僕にどうなってほしいの?】
という息子さんの叫びが印象的だった。
一方的に厳しくする場面はある。
命を粗末にする行為。
これは、小さい頃から厳しくすべきだと感じる。自分でも他人でも命があるから人生がある。
この世から去ってしまえば、何も伝わりません。
思春期の子供が思うこと。
親にたいしては『うるさい』と思い
何かしてもらえば『うざい』と言い
返事は『はい、はい』と返してしまう。
この〜しまう、と言うのがポイントのような気がします。
おそらく、親から被せられた仮面を必死に拭い去り、自分という人間を確立したいという欲望にかられているんでしょう。
だから、親から押し付けられた価値観にはとりあえず否定してみる。だって、親から与えられた仮面を脱ぎ去りたいわけですから…
理不尽でも、理にかなってなくても関係ないんです。それが自分という人間なんだから。
誰にもそんな思春期があったんではないでしょうか?
我々親が伝える【厳しさ】とは。
我々親が出来ることは見守ることなのかもしれません。それも、注意深く。失敗するだろうな…とわかっていても。
どんなにもがいていても、基本的にはこちらからは何もしない。蝶🦋になるサナギはいじくり回すと死んでしまいます。
とくに男の子は失敗して学ぶもの。先回りして教えずに、彼の挑戦を褒めて次はどうすればいいのか?本人に考えさせる。
例えるなら『手を離して抱きしめる』感じ。これが本当の厳しさのような気がします。
また、1人前の大人として扱ってみるのも、面白いかもしれない。息子にちょっと悩みを打ち明けると、的を得た答えにビックリする。
番組の最後に父親は『大学に復学するもよし、やりたいことがあるならやってみてもいい。お前の人生だもんな』と伝えていたのが印象的だった。