
人間、儀式大好き!【ちょっと宗教っぽいお話】【怖くないよ】【って書くと怖い】
こんにちは。満腹おにぎり太郎です。
唐突ですが、みなさんは儀式好きですか?私はなんだかんだで結構好きなんじゃないかなと思っています。
待て、なんの話を始める気だ。
大丈夫、壺とか買わせないから。
儀式です、儀式。冠婚葬祭を始め、宗教的なイベントも好きです。クリスマス、初詣、あとは日常的な祈りの場を遠巻きに見ること(あんまり積極的な姿勢で参加すると緊張感でゲロってしまうことがたまにあるので、冷やかしのようですがこの立場が一番いいと落ち着いた結果です)が好きです。
人と人とのコミュニティが一旦儀式によってリセットされ、みな一律の平たい状態になるのを見ると、たまらなくなる性癖です。おそらく平和主義的な部分が強いのだと思います。
あとは、儀式の動作のもつ意味や根源が何なのか、と探るのも好きです。教理や企業理念みたいなものは神や創業者が教え伝えたとしても、儀式はそれを元に後で人がシステムしたものなので、ちゃんと理屈があったりなかったりするのがイイです。しっかり人を感じます。
そこで本題に入るのですが、儀式があることで我々人間がものすごく救われてきたのではということを、考えてみたいのです。
例えば、元彼/彼女を忘れられないA君がいたとします。次のステップに進むために思い出の品を整理したり、暴飲暴食をしてみたり、旅行したり、自分磨きをしたり、友人に話をタラタラ聞いてもらったり、あらゆることを試すと思うのですが、それらこそ儀式であると私は感じるのです。ある重い思いをどうにかしようと動作している様が人間がまだウホウホ言っていた頃のそこまで賢くない解決方法みたいだな、と感じます。
茶化しているのではなく、私が感じているのはそれに対する愛です。やれAIだDXだなんだと言っている世の中ですが、この儀式の部分をIT化されちゃあたまったもんじゃないですね、と老人みたいなことを言いたいのです。「愛じゃよハリー、愛じゃ。」
いつか脳科学がスーパーウルトラ発展して、AIが「そろそろ儀式をすると気持ちがいい感じに整理できるはずですがいかがですか?」なんて勧めてくるような社会にはいたくないのです。お賽銭が電子決済で支払える現代なんてまだかわいいもんではないのでしょうか。しかしそれすらも儀式techの先駆けなのかもしれないです。(儀式tech、使いづらい言葉です)