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なぜかずっと覚えている言葉 その①

こんにちは。満腹おにぎり太郎です。


今回は、人生においてなぜかずっと覚えている言葉について書いていこうと思います。

偉人の言葉に感銘した!とか大それた金言ではなく、日常で聞いた、誰かが言われたなんてこたぁない言葉をなぜか引きずっている……なんてことは皆さんもあるのではないでしょうか。
なんとなくそんな言葉を思い返す時があってもいいですよね。
加えて、どうしてそれを覚えているのか、聞き手である自分自身の脳に何か影響があったからこそ覚えているのでしょうが、そんなことにも気になってしまいます。
これはどうしようもない飲み会のグタってきたあたりで使える話題なのではないでしょうか。

きっとそんな言葉はひとつだけなんて有り得ないので、なんとなくナンバリングしてみました。
また思い出して書きたくなったら、多分続いてダバダバと書くかもしれません。
というか、皆さんの「人生でずっと覚えている言葉」についても知りたいです。リレー大歓迎です。
書いたら教えていただけると喜び飛んで読ませていただきます。

なんてことない言葉、解析していきましょう。

授業中の社会の先生の言葉


中学の頃の社会の授業中に佐藤先生(仮称)が言った言葉です。

佐藤先生について、当時中学生の私の主観を踏まえて説明します。
当時40代のおじさん先生で、社会科の中では教科主任で堅実かつ面白い授業をしてくれる先生でした。
中国語が堪能で、たまに中国でのエピソードトークや中国語について授業と関連させて豆知識として教えてくれることがありました。社会科っぽいですね。
あとは息子さんのお話をたまに挟んだりして、子煩悩な先生である印象もあります。

さてそんな佐藤先生が、授業中のある生徒の態度が悪く注意したのですが、反抗的な態度をとられてしまいました。
しかし、佐藤先生はあくまで冷静で、教室の全員にこう述べたのです。

「叱られた時に逆上するのは、正しいことを言われたと自覚しているからなんです。みんなも胸に手を当てて思い返してみればそうでしょう?」

このままの内容だったかは忘れましたが、そんなようなことを話していました。
これはなかなか効くボディーブローでしたね。
注意された生徒はこれ以上反抗すれば、まさしくこの言葉通りの状態になってしまい、ますます先生の正しさを後押しすることになってしまいます。

この言葉が効いたおかげかその生徒はおとなしくなったというか、この話題を出されたことで主導権を先生に握られてしまい、私自身の関心は先生へ向き直りました。
そして、実際に胸に手を当てて思い返したところ、私もそうだったかもしれない……と佐藤先生ワールドへ引き込まれていきました。
そうして「僕の息子もね、ある時注意したら~~~~~~……」と息子の例を元に先ほどの言説の根拠を喋り続けました。
それもまた面白かったです、内容は覚えていないのですが……。

細かい授業の内容や話の流れは全く覚えていませんが、そんな言葉がずっと心に残っています。
これまたなぜ覚えているのかは不明です。
ただ、こうして文章に起こしてみると「先生」という役の立ち回りがすごく上手だったんですね。

胸に手を当ててみたところ


さて、私はそんなことがあったかなと思い返してみました。
叱られて、それが正しいと知りつつ逆上した経験。

……(胸に手を当てるポーズで)

ありすぎる。しかしどうでもよく小さいことが。
親に部屋を掃除しなさいと小言を言われた時。
―――「わかってる!」
分かっているなら早くやりなさいよ、ですね。
ダラダラしてないで早く風呂に入りなさいと言われた時。
―――「今入ろうと思ったところ!」
入ろうとしていないからダラついているんじゃないですかね。
……ね、しょうもないでしょう。
一人暮らししてからそんなことを言われる機会は減りましたが。

もっと大きな反抗をしていたとしたら、どんな気持ちになっていたのでしょうか。
実は私、反抗期の到来が18~20歳と遅く、その時期にメンタル疾患っぽいものも発生してしまったのです。
なんというか、現代病に近いものだと思います。
大人、学校、社会全体という後ろ盾のもと大々的に反抗するのとは違い、18~20歳の反抗期というのは周囲の人たちからすると「なんかやってんな」くらいにしか見えないので、人知れず心の暗くカサカサした部分を広げるしかなくなっていました。

それで佐藤先生の言葉を思い返すと、自分の欲求や意思よりも大人の正しさにひれ伏すだけの中学生だった私が、別の思いを抱えた自分の存在に気がつくためのヒントだったのかもしれません。
大人であろうと子供であろうと、自分の考えをぶつける場所や練習場というのは生きる上で必要不可欠ですよね。
今になって私はその重要性を知り、こうやって地道に創作活動をしています。
逆に言えば、このように間口が広い創作の場が与えられていることを有難く思いますし、他のクリエイターの方々の創作物に触れられる喜びもひとしお感じられるようになりました。

以下は他のクリエイターの方々への感謝を綴った記事です。
粗削りなのですが、どのような気持ちが込められているかご覧になっていただけると嬉しいです。


正しさとか過ちとか


近年は少子化もあって手厚い教育体制が整えられているせいもあってか、子供の一挙手一投足に目を光らせたり、大人が過度に心を騒がせすぎる場面もあったりなかったりするのかな。

「あの頃はよかった」ではないですが、昔はもっと子供主体の社会やコミュニティがあったような気がします。
これからを生きる子達には、大人の社会に突入する前の過程を思う存分謳歌してほしい限りです。
そう、未来を担う子供たちの作るものも、私は大事にしたいし摂取して生きたいのです。

そんなことを、思い馳せました。


最後に、なんとなく尾崎豊の『街路樹』がマッチするような気がしたので以下にリンクを貼ります。


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