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【奇子】手塚治虫感想戦

こんにちは。満腹おにぎり太郎です。

昨夜宣言した通り、手塚治虫作品『奇子』の感想戦を行います。(戦とは書いたものの何と戦うのか)

言うまでもなく、以下ネタバレを多く含みますので、ご覧になる方はそれをご理解の上読み進めていただきますようお願いいたします。
まだ読んだことがない方は、一度『奇子』をお読みになってからの方がいいかもしれません。








奇子の世界の狂気性


『奇子』というマンガについて、結論から申し上げると好きな作品です。
一晩寝かせておいた心象として、試験前になんてものを読んでしまったんだという気持ちがちょっとありますが、うん、好きです。好きだから読めました。
誰が悪いのか?何が諸悪の始まりなのか?というのを読者に与えられるタイプのものが好きです。
桐野夏生先生の『残虐記』も似たようなテーマ性で物語が繰り広げられていますよね、あれもなかなか興味深い物語でした。
それのもっと登場人物を増やしたり、理不尽の種類を豊富にさせたのが、この『奇子』なのではと思います。

第三者から見れば、特にラストシーンの炭穴を掘り当てた下田警部の目線では完全なる狂気と悪夢の世界に見えたでしょうが、当事者である奇子にしたら最高の環境ですよね。
昔懐かしい薄暗く冷たい土蔵の世界、人は皆静かに生き絶えるばかり。
しかし奇子に「殺したい」だとか「一族を我が物に」とかいうハッキリとした復讐心はなく、家族を苦しめたいという禍々しい気持ちは抱けないまま、ただ微笑むという最後。これいいですよね。人間を超越してしまいました。
最終的にトップクラスの狂気は無垢が産んでしまったことに、ひとつの物語としてのスペクタクルが溢れてたまらんです。


登場人物について


ひとり気になる人物がいまして。
天外ゐば。
彼女は夫の作右衛門が卒中で倒れてから天外一族を守る使命を果たしていました。
え?市朗?……あいつは自分のことしか守れていないでしょうが。

作右衛門の書いた遺産相続の遺言を手にしてからは、わりと強キャラなのではと思います。
枕の下という気付きそうで気付かないところに隠すというあたり、家長の嫁として家族のことをよく見て知っているんだなと。
彼女の生い立ちなんかも気になるところではありますが、物語を通して見えるのは、混血(どこまで何がブレンドされているかは知らん)の家系においてそれを黙認し続けることで生涯を天外家のために尽くし、うまいこと生きてきた人ということです。
ひっそりと生きてきたので、最後のページにおいても、これからもひっそりと生きていきそうなことを言い残して物語の幕を下ろします。
そこで初めてゐばさんに思いを馳せるわけです、この人はどう生きてこれからどう死んでゆくのだろう、と。
私にとって、ゐばさんは奇子と同等の余韻を残している気がします。
これとは別の終わり方をしているらしいオリジナル版も気になるところですが、このエンディングはこれとしてとても満足しています。

これ、奇子の次に純粋さを持ち合わせた人なんじゃ……?
ゐばさん、奇子を蔵に閉じ込めることを認めた以外はそんなに悪いことしてないと思うんですよね。(忘れていたら「これよ!」と教えて欲しいです)
あれ、椀の多数決の時参加してましたっけ?
うーん、でも市朗が仕切っているし意思表示する権利すらなさそうだなぁ。
でも、市朗がすえを殺したことを知ってビンタしたことが、この物語の数少ない正義でしたね。針を持ち出して頸動脈に刺したりしなくてよかった(笑)
あまり意見できなかったゐばさんが殻を破れたのがなんだか印象的でした。
ご自身でも何も言えないことに対する自責の念を述べていらっしゃいましたしね。

三男伺朗も一見正義ポジションに思えますが、でも利害あっての正義みたいなポジションでしたものね。
結局欲に負けて奇子と寝たことも、彼にとって都合の良い解釈をして欲望を優先させたまでではないでしょうか。
あ、なんか伺朗をどう判断するかで読者は割れそうだな。私は彼に対しては結構否定的です。
市朗は「天外家唯一の良心だと思っていたらこのザマ」みたいなことを宣っていましたが、お前マジで自分の都合のいいところしか見てねぇじゃん、と思いました。でも家族ってそんなもんなのかな。
あー、彼が一緒に遊んでいたのは仁朗とか奇子、お涼でしたね。伺朗の本質を市朗が知る由もない。
そんな彼が検事である波奈夫と奇子を取り合うシーンは、うまいことピッタリハマった感じがしますね。裁判ごっこもいい伏線でした。
思う存分殴り合え、そして互いに散れと願っていました(笑)
最期のシーンでは一緒に仲良く土に伏していたので、願望は叶ったといえるかも。


下山事件について


最後に下山事件について。
この事件をベースに物語上の奇怪な「霜山事件」を書かれているそうです。
これに関しては私ムチムチの無知で、読了してからサラッと調べ、なんとなくこの事件の特集をテレビで流し見たような〜あれかな〜などと思い返していました。
どうなんでしょうね、事実は自殺か他殺か。
どちらにせよ、何かの圧力が存在していたということは否定できないのではないでしょうか。

マンガの中では、日本という米国に閉じ込められた箱の中の、青森というさらに狭い箱の中の、天外家というさらに小さく窮屈な箱の中の物語をベースに書かれています。
現実の日本も「奇子」と同じ窮屈な世界なのでしょうか。
日本国民の誰もが戦争によって閉じ込められた箱で生きていた、そして現代社会に生きる我々も歴史の延長に生きているわけですからその弊害を受けていると感じます。
箱から解き放たれたとして、どうにかうまく適応しないと奇子のように穴蔵でニタニタ笑って佇むしかなくなってしまいそうですね。

おわりに

物語のあらゆるポイントにおいて、「もしも」の世界を思い浮かべました。
もしも奇子が土蔵の中で妊娠していたとしたら。
もしもお涼が仁朗に殺されていなかったら。
ああ、こうやって二次創作ってのは生まれるのか……読みたいな。
それだけに、手塚先生の書かれたマンガは味わい深いものを残していくのかな。
でもやっぱり本家こそ至高、これ以上を求められないのもまた口惜しいですね。
あー、もっと手塚作品読もう。たまらん。


このあたりで、感想戦を締めたいと思います。
初めて読書感想文なるものを書きましたが、こんな感じでいいのかな。
拙い文章ではありましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
また何か書いたときお会いできると嬉しいです。


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