あさのやよい

文字書き見習いです。 よろしくお願いします。

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本棚の奥に眠るもの

彼女がその神社に足を踏み入れたのは、もう夕方も終わりかけた頃だった。夏の長い日も、夜に向かって徐々にその光を失い、周囲には静寂が漂っていた。近所の家々から漏れる生活の音も、鳥の鳴き声も、この神社の境内に届くことはなく、まるで別の世界に迷い込んだような気分にさせた。 「どうしてここに来たんだろう……」 ふとつぶやいたその言葉は、自分の声でありながら、どこかよそよそしく響く。神社の石段をゆっくりと上がり、境内に足を踏み入れると、空気はさらに冷んやりとし、深い森の中にいるかのよ

    • 煙と風の間

      夜の路地裏を歩いていると、いつも薄暗い明かりの下で佇むおじさんがいる。彼は無口で、誰とも話さない。いつも麻のコートを着て、手には古びたパイプを持っていた。私はそのおじさんの存在に最初は興味を持たなかったが、ある夜、思わず声をかけたくなった。 「寒くないんですか?」 おじさんは顔を上げ、無言のまま私を見つめた。彼の目には何か深い哀愁が宿っているようで、その目に引き込まれた私は、立ち去ることができなくなった。私が再び口を開こうとした時、おじさんはパイプを咥え、ゆっくりと煙を吐

      • レトロニムの時計

        東京のとある骨董品店。静かな佇まいの中に、古びた時計が幾つも並んでいる。その中でも一際目を引くのが、ガラスのケースに収められた銀色の懐中時計だった。ケースの前に立つと、まるで時が止まったかのような静寂が包み込む。店の奥で品出しをしていた店主が、ゆっくりとこちらに近づいてきた。 「それは不思議な時計でね」 声をかけてきたのは、白髪混じりの中年の男。無精ひげを生やし、顔にはどこか哀愁を帯びた表情が浮かんでいる。彼は時計を指差しながら、微笑んだ。 「電池が切れた時計なんですよ

        • 箱に宿る怒り

          その箱は、ただの装飾品ではなかった。 「これ、どう思う?」 麻衣がそう言って、古びた木箱を私の前に置いたのは、少し湿り気を帯びた夕暮れ時のことだった。私たちが住む町の商店街にある古道具屋で見つけたというその箱は、幅20センチほどの正方形で、暗い色合いにかすかな漆が施されている。何より目を引いたのは、箱全体に描かれた複雑な模様だった。幾何学的な線が絡み合い、まるでそれが生き物のように脈打っているかのように感じた。 「不思議な箱だね。でも…なんか気味が悪いな」 私は正直な

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        本棚の奥に眠るもの

          踊る指輪

          ある日、夏の終わりを感じさせる風が街を包み込む頃、私は久しぶりに母と一緒にデパートに足を運んだ。子供の頃から、このデパートには特別な思い出が詰まっている。母と手を繋ぎながら、よく遊びに行ったのを思い出す。 古びたエスカレーターの音が、懐かしさを一層引き立てる。デパートの匂いも、変わっていない。古い革のソファや、ショーウィンドウに飾られた最新の洋服が光を浴びている光景に、私はどこか過去と現在が交差する感覚を覚えた。母は、少し気まずそうに辺りを見回していたが、それでも私たちは何

          静寂とリビング

          自宅のリビングに差し込む朝の光が、静かに揺れるカーテンの隙間から床に伸びていた。木目のフローリングには、微かな影が踊る。窓の外には、静かな街の風景が広がっているが、今はそれを気に留めることもなく、私はリビングのソファに座っていた。 「ねえ、どう思う?」と、隣に座る彼が言った。 私は軽く肩をすくめ、机に置かれたコーヒーのカップを見つめた。コーヒーの蒸気がほんのりと上がり、部屋の空気を温めている。 「うーん、何のこと?」 私は少し考えてから答える。 彼は一瞬だけ人差し指を

          静寂とリビング

          旅路の果て

          その洞窟は、遥か昔から町の外れに佇んでいた。町の人々は皆、子供の頃に一度は好奇心に駆られてその洞窟を目指し、やがて大人になると、その存在を忘れてしまう。洞窟に近づくものは減り、今ではその場所を訪れる者はほとんどいなかった。 幼い頃、僕もまたその洞窟を訪れた一人だった。記憶は薄れているが、確かにその場所で何かを見た、何かを感じたことだけは覚えている。大人になってから、その感覚を追い求めることがある。今では僕自身も旅人となり、世界中を歩き続ける日々だ。けれど、どこに行っても、あ