雑感・Detroit: Become Human システム編
例えば桃太郎。洗濯をしているおばあさんが、流れてきた桃を取り損ねてしまったら?例えば赤ずきん。おばあさんに変装したオオカミのもとへ、猟師が先にやってきたら?例えばさるかに合戦。とどめの臼がタイミングを誤り、猿を直撃し損ねたら?
物語とは作者の意図したものをなぞるだけのもの、という先入観が、我々にはあるのかもしれない。それらの箍を外し、自由に物語が紡げたら……。
本作はまさにそれを叶えている。確かにマルチエンディングや枝分かれ式の物語は珍しくなかった。だが本作はあまりにその許容量が大きすぎる。
この仕組みについて解説したいのだが、またネタバレを避けるため、桃太郎に当てはめて解説してみる。
物語の冒頭、おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から桃が流れてくる。もしこの桃をおばあさんが取り損なってしまったら?無論桃太郎はおばあさんと出会えない。
従来のゲームの多くは、ここで『バッドエンド』の看板を立てて終わらせていたが、本先はきっちりその先を体験できるのだ。
なんと桃は、河口付近で漁師が張った網にかかった。驚いた漁師が桃を割ると、中から元気な男の子が現れる。桃太郎と名付けられた男の子はすくすく育った。
ある日桃太郎が浜辺を歩いていると、悪童たちがウミガメを寄ってたかっていじめていた。桃太郎は……と、ここでプレイヤーに選択が迫られる。亀を助けるのか否かだ。
無論物語のセオリーで行けば、助けなければ始まらない。助ければ無論竜宮城ルートがアンロックされるが、本作は助けなくても滞りなす進んでいく。その場合は鬼ヶ島ルートへ続いていく。
おわかりだろうか?本作はまるで異なる展開を、まとめて一本のタイトルに作ってしまっているのだ。
今までのマルチシナリオが、根の近くは広く先へ行くほど細く、頂点の星を正解とするもみの木のようなものだとしたら、本作は根元から広がり、どれも絶えることなくいくつもの結末を見せてくれる。この木はなんの木だろう。
加えて憎たらしいのが、フローチャートで分岐とフラグを見せてこちらのコンプリート欲を刺激しつつ、世界中のプレイヤーの統計データを見せる仕掛けである。
自分の選択は多数派だったのか、あの重い選択肢を皆はどう乗り越えたのか、自分の物語と知りながら引っ張られてしまいそうになるのが辛くて楽しい。
そんな本作の中で、おそらく多くのプレイヤーを悩ませるのがQTEだろう。
デモシーンにボタン表示が現れ、そのボタンを押すとアクションが展開するこのスタイルは、咄嗟の反応が難しく初見プレイでは相当の反射神経を要するため、一部ゲームファンの不興を買うことが多い。
だが本作は、難易度調整で演出に徹したQTEにすることも可能であり、ゲームを阻害するほどではないように思える。程よい緊張感はデモシーンの没入感も高めてくれる。
そしてやはり私が一番ご紹介したいのが、スティック操作をそのままコマンド選択にしてしまった、クアンティックドリームの発明であろう。
窓を開けるといった動作を、カーソルを合わせてボタンを押すのではなく、スティックを上にあげることで選択させる。
これだけでゲームとの同調感が飛躍的に高まるのだから、ぜひ一度体験してほしい。
ストーリーばかりが注目されがちな作品だが、ゲームとして遊ぶこと、極めることをきちんとアシストしてくれる、システムも丁寧に作り込まれた快作。是非あなたの物語を編んでみてほしい。
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