ヒーローの姿
(8)
近所の公園に雑木林があって、毎日夕方になるとその雑木林のなかを散歩するのが日課になっている。
ひぐらしの鳴く音がこだまする木陰はひんやりとしていて、歩いているうちに夏の暑さをひととき忘れられる。
今年の夏の異常な暑さ、それは決して異常なのではなく、ぼくたちの生活と社会システムによって必然的に生み出されたものだ。そして、そんな暑さをエアコンの冷気でやり過ごす生活と目の前の雑木林を散歩するこの瞬間は地続きだ。
個人の生活でいくらエコを意識したところで、地球温暖化は止められない。変えなければならないのは、社会システム、経済システムの方だ。だが自分一人に何ができるだろう。
そんな言い訳じみた思いを抱えながら、ぼくは雑木林を歩く。かすかな森の匂いがあたりに満ちていて、呼吸をするたびに自分の気持ちが静かに落ち着いていく。大きな問題に正面から取り組むことと同様に、心の平穏を保つために問題から目を離すことも時には必要だが、いずれにしても、「自分のできること」から始めるしかない。この一歩でないどのような始まりもないのだから。
ぼくが日々の憩いを求めて散歩をするこの雑木林は、人の手が入ったものだ。原生林をなるべく保存し、多様な生物がなるべくそのまま生きられるよう、森林保護員が定期的に森に入り、立ち入り禁止のロープを張ったり、遊歩道を整備したりしている。いわば人と森とが関わり合ってできた環境がこの雑木林であり、そこでは自然本来の獰猛さや旺盛な生命力は人を受け入れられるよう抑えられている。
だが原生林ではそうはいかない。
◇
ぼくたちが銃を構えて歩くジャングルのなかは樹々と繁茂する草とでおどろくほど視界が悪かった。鳥の鳴き声が頭上で響き、風も通らない濃い森は味方の姿すら見えない。
先頭にナーミ、そのすぐ後ろにぼくの息子が続き、少し離れてさらまんだがゆっくりと歩いている。マーカーが表示されていて彼らの位置はわかるが、森が深くて姿は見えない。すぐ近くに敵プレイヤーたちが待ち伏せをしていることはわかっていても、相手がどこにいるのか皆目見当がつかない。
ぼくは周囲を警戒するため3人から離れた最後尾を歩いていた。目視で状況把握することをあきらめ、ぼくは樹々と葉に満ちた樹林が映る画面全体をぼんやりと眺めた。ひときわ甲高く鳥が鳴いたのを聞いて頭上を見上げると、高い木の上に敵プレイヤーたちが潜んでいて、こちらに銃口を構えていた。
敵襲だと叫ぶ間もなく、ぼくは頭部を撃ち抜かれていた。ぼくのステータスがレッドになったのを見て、息子たちは何が起こったのかを瞬時に理解した。
「上だ、木の上に敵がいる」
「わかってる」
隣に座る息子に声をかけると、彼はすでに振り向いてライフルをぶっ放していた。深い森のなかで銃声が響き、誰かがビームセイバーを振るう音が聞こえた。
「サーマルスコープを付けてる。ずるい!」
ほとんど視界が見えない状況だというのに相手の射撃があまりに正確で、息子は悲鳴をあげた。ほどなくして奮闘むなしく息子もライフをゼロに削られ、地面に崩れ落ちた。
さらまんだは流石にゲーマーだけあって、このような状況でも落ち着いていた。相手の銃声でおおよその場所を割り出し、素早く近づいてはビームセイバーで敵プレイヤーたちを斬り伏せていく。だが相手を二人倒したところでついに捕捉され、あえなく蜂の巣にされてしまった。
「ゴメン、囲まれてた〜」
「ナーミは?」
息子は心配そうな顔で画面を見つめた。唯一の生き残りであるナーミは、敵プレイヤーたちに見つかっていないようだった。
「あの子はサーマルスコープに映らないのかもしれないね」
「いいぞ、やっつけろ!」
レーザーガンの発射音が聞こえ、あたりは静かになった。しばらくしてもう一度光の弾が森のなかを飛翔していくと、それっきり銃撃戦の音は聞こえなくなった。
樹々をかき分けて姿を現したナーミは、ぼくたちを順番に治療してくれた。
「いやー、命拾いしたね。この子がいなかったら全滅してたわー」
「敵はどこ? とどめを刺そう」
奇襲されてダウンさせられたことに腹を立てたのか、息子はナーミに瀕死状態の敵の場所まで案内させようとした。
「放っておけよ。どうせ60秒経ったらオリジン・シティへ強制送還されるんだから」
「でも、あんなの、ずるすぎるよ」
「ずるくはないよ。サーマルスコープだって、待ち伏せだって、ルールで認められた戦い方だろ」
「でも」
納得がいかない息子は、ナーミとともにまだ息のある敵プレイヤーを探し出すと、腹ばいになっていた相手のお尻にふざけて銃口を向け、やーいと言いながら引き金を引いた。敵プレイヤーは蛍光グリーンの飛沫を撒き散らして消えた。
「おい」
思わずぼくは言った。
「そんなことするな」
「でも……」
「やられてムカついたからって、そんな風にとどめを刺すなよ」
「どんなとどめの刺し方もルールで認められてるでしょ」
「あのな、ちょっと聞きなさい」
ぼくは隣に座っている息子の目を見て言った。
「ルールで認められていようが、認められてなかろうが、やっていいことと悪いことがあるんだ。わかるだろ?」
「でも……敵さんは弱いから負けたんだ。負けたんだから、どうやってとどめを刺されても仕方ないよ」
「いいや、違う。敬意を払いなさい。相手プレイヤーの顔は見えないけど、画面の向こうには生きている人間がいるんだ。ぼくたちと同じ人間が。それを忘れちゃいけない。たとえゲームのなかであっても、相手に敬意を払うこと。そしてふさわしい振る舞いをすること。それができなければ、残念だけどきみにはこのゲームは早すぎる。これ以上プレイはさせられない」
「そんなあ、……だいたい父ちゃんが一番最初にやられたんじゃない。警戒する役目だったのに、敵に気づかなかったじゃん」
「それとこれとは関係がない。ゲームが上手いか下手か、勝った負けたも関係ない。人は相手に対して敬意を払わなくてはいけない。相手にも尊厳があり、感情や心があり、人生がある。わかるか?」
息子はしぶしぶうなずいた。
彼がぼくの伝えたかったことを全部理解できたかどうかはわからない。でも、大事なことはわかってくれたはずだ、そう思ってぼくもうなずき返した。
「じゃあ、移動しよう。ストームが迫っている」
「そうだね。早くジャングルを抜けよう」
ぼくたちのやりとりを黙って聞いていたさらまんだは、そう言って先頭に立って歩き始めた。続いて息子が、ぼくを避けるように横をすり抜けてさらまんだの後を追った。
振り返ると、白金色をした人型の光がこちらを見ていた。
「ナーミ、行こう」
ぼくがそう声をかけると、しばらく考えるようにじっとしてから、ナーミはうなずいた。
(つづく)
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