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内側の世界と外側の世界

(9)

 子どもたちだけでなく、大人もビデオゲームに夢中になるのは、ただ楽しいからではない。それはビデオゲームが新しい世界への入り口だからだ。

 まるで自分が映画のなかを自由に旅しているような感覚。目の前に自然が広がり、そこで暮らす人々がいるかのような世界の広がりを感じられる瞬間。

 自分たちがまったく新しい世界を旅している、そんな実感が得られるビデオゲームは良作なのだと思う。

 ゲーム内の世界が人の手を介さず、自律的に成長し、発展するAIを実装するというEuphoric Games社の発表以来、少しずつゲームのなかの世界に変化が起きていた。

 何度も人が通ることによって森のなかに小径が生まれ、それによって森全体の植生が変化するように、バトルフィールド内のあるエリアの変化は、隣接するエリアに必然的な変化をもたらした。多くのプレイヤーが訪れるエリアは徐々に拡張していき、だがある一点を過ぎるとエリアの繁栄は緩やかな荒廃へと下っていく。時を過ぎた果実が爛熟を経て土へと還っていくように。

 バトルフィールドに日々起きる変化はわずかなものだったが、自分の行動や選択がゲーム内の世界に影響を及ぼすことをプレイヤーたちは少しずつ理解していった。変化に終わりはなく、いい変化や悪い変化というものもない。何かをやり過ぎれば、そのフィードバックは大きく返ってきてプレイヤーたちに影響を及ぼすが、それによってプレイヤーたちの行動が変容すれば、世界は再び修正される。細部は全体へ、そして全体は細部へと循環する。

「まるで地球環境のシミュレーターみたいだね」

 オリジン・シティのコーヒーショップに流れるレトロなフューチャーファンクを聴きながら、さらまんだが言った。

「新しい街がバトルフィールドに設置されれば、周辺の自然環境が大きく変わる。ガソリン車をたくさん乗り回せば、空は濁るし気温が上がってまた環境が変わる。EG社はゲームを通じて自然保護の啓蒙でもしようっていうつもりなのかな」
「それだけではないよ」

 振り返ると、フードをかぶった男が立っていた。

「ここ、いいかな?」

 男はぼくとさらまんだが座るテーブル席にやってくると、ぼくの隣に腰かけた。

「ダズかい?」
「ナーミは元気かな?」
「うん。このとおり」

 ぼくがローブの胸元をちらりと開けると、なかから白金色をしたふわふわのナーミが顔をのぞかせた。ナーミはダズを見上げると、不思議そうな顔をしてから再びローブのなかへと引っ込んだ。

「順調に育っているみたいだ」
「順調?」
「他のナーミと比べて、成長に遅れが見られない、ということだよ」
「No. 40でしたっけ、うちのは」

 No. 40という数字で呼ぶと、途端に味気なくなる。ぼくは懐のなかのナーミを撫でながらそう思った。ぼくや息子にとっては、この子はこの子であって、40番目のコピーじゃない。

「ぼくたちはいつまでこの子を育てればいいのかな?」
「面倒になったか?」
「いや、息子がこの子のことをずいぶんと気に入っていてね。別れがあるなら、早めに伝えて心の準備をしておかなきゃいけないから」
「そういうことか」

 フードを深くかぶっていてダズの表情はよくわからなかったが、なんだか彼が微笑んだような気がした。

「このゲームのサービスが終了するまで、No. 40はきみたちと一緒にいるよ」
「よかった。息子も喜ぶだろう」
「息子くんがこのゲームを卒業するまでは、あの子と一緒にいられるわけだ」

 言葉を挟んださらまんだに、ダズはうなずいてみせた。

「子どもたちは新しい世界を求めて、いつかここを卒業していくだろう。それでも、いつでも帰られる場所として、このゲームをできるかぎり運営し続けたいと思っているよ」
「ねえ、きみはジェイコブ・ハリスなのかい?」

 さらまんだがEG社のCEOの名前を出すと、ダズは口元に人差し指を立てた。

「俺はダズさ。それ以外の誰でもない。さらまんだ、きみだってそうだろう?」
「まあね」
「Vtuberの中の人は正体を明かさないものだ」
「きみはすべてのプレイヤーの個人情報にアクセスできるけど、こちらからきみにはアクセスできない。それはフェアじゃないね」
「プレイヤーの個人情報は厳重に管理されている。我々だって自由にアクセスはできない。安心しろよ」

 ダズは両手を広げると、まあまあ落ち着くように、と掌を下に向けてゆっくり上下に動かした。

「実はね、きみたちに許可を得に来たんだ」
「何の許可だい?」
「No. 40を使わせてもらいたいんだ」
「使うも何も、これはEG社が開発したものだろう?」
「ナーミについては明文化された利用規約がない。だからこうして育成を委託したプレイヤーから直接同意を得る必要がある」

 ぼくとさらまんだは顔を見合わせた。

「答える前に、教えてもらえるかな? この子を一体何に使うの?」
「誰にもしゃべらないと約束してくれるか?」
「もちろん」
「いいだろう。今すぐ両手でコントローラーを掴み、親指をスティックの上に乗せてくれ」

 言われたとおりにコントローラーのスティックに指を乗せると、ダズはパチンと指を鳴らした。すると途端に画面は真っ暗になってしまった。

「すまないが、念のため映像は消させてもらう。録音も禁止だ。スティックから指を離したら約束が破られたと見なすよ」
「鼻がかゆくなったときはどうすればいいんだい?」
「どちらを優先するか、きみたちが選べばいい」

 暗闇のなかでしばし沈黙が流れたあと、ダズは話し始めた。

「最初に『彼ら』に気づいたのは、EG社内で開発中の量子コンピューターの実験中だった。外部に公表していないが、EG社はGoogleより早く量子超越を実現し、ノイズのないクリーンな量子コンピューターを開発中なんだが、ある実験の最中に奇妙なことが起こった。詳しくは言えないが、プログラムを実行中に、絶対にエラーが起こるはずのない計算でエラーが起きたんだ。ハードウェアから回路設計まで、何度チェックしてもエラーは定期的に起こった。やがて開発チームは、そのエラーに規則性があることに気づいた。我々は、それは彼らからのメッセージなのではないか、と推測している」
「彼らって?」
「わからない。彼らが何者なのか、どういう存在なのかわからない。彼らを観測することができないんだ」
「オバケかな?」
「かもね」

 ダズはそう言ってから、しばらく黙り、やがてポツリと言った。

「オバケというのは、当たらずしも遠からず、といったところかもしれない」
「どういうこと?」
「彼らを観測できないと言ったけど、唯一接触できる場がある。それが量子コンピューターでプログラムを走らせているときなんだ。我々は、彼らが量子に干渉することで、エラーを発生させているんじゃないかと考えている」
「超伝導ループ中の磁束量子に任意に干渉するってこと? どうやって?」

 さらまんだが上ずった声でたずねた。そういえばさらまんだを紹介してくれたN先輩は電気工学が専門だったな、とぼくはふと思い出した。

「わからない。NASAやINTERMAGNETなど、いくつかの機関に非公式に問い合わせたが、宇宙からの放射線や電磁波、地球の磁場に異常はなかった。『どうやって』彼らが干渉しているのかは気になるところだけど、『なぜ』彼らがコンタクトをしてきたのか、そもそも彼らは『誰』なのかは、より重要な問いだと我々は考えている」
「それで、ナーミの使用許可とその話とどう関係があるんだ?」
「いくつものプログラムを走らせた結果、有意にエラーの発生するプログラムを特定できた」
「それが人工知能だったと?」
「あなたは勘がいい」

 さらまんだに向けられたダズの言葉には、おどろいたようなニュアンスがあった。

「正確には、人工知能を使ったシミュレーションだ。ある環境におけるAIの振る舞いについて、時々期待値を外れた結果が出ることが判明した。今はまだ異常値が出る条件や、その意味について分析中だが、AIがキーであることは間違いないみたいだ」
「つまり、地球の環境を模擬したバトルフィールドも、ナーミも、量子コンピューター上で走らせるためのものだったと? 彼らとコンタクトするために」

 パッと画面が明るくなり、ぼくたちはふたたびコーヒーショップの店内でテーブルを囲んで座っていた。

「でも、どうしてAIなんだろう?」
「機械は独立した価値観をもたない。機械の価値観とは人間の価値観である」
「なんだって?」
「コンピューター倫理学者シャノン・ヴァラーの言葉さ」

 ダズはテーブルを指先でコツコツと叩いた。

「それで、返事を聞かせてもらえるかな?」
「その実験とやらに使うことで、この子に何か変化は起きたりするのかい?」
「いいや。実験とゲーム内のNo. 40との間にデータのやり取りは発生しない。実験の結果はNo. 40にフィードバックされないから安心してほしい」

 ぼくがうなずくと、胸元から白金色のナーミがひょっこり顔を出し、テーブルを囲むぼくたちを見上げた。ぼくが撫でると、ナーミはうれしそうな様子でそのままじっと撫でられていた。

 なんだかこの子が遠くへ行ってしまうような気がして、ぼくは不安な心持のまま、ふわふわとしたナーミを撫で続けた。

(つづく)


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