見出し画像

パースペクティブ (6)

 誤解してほしくないのだが、ぼくは誰彼構わず恋慕するような恋愛体質者ではない。恋に恋する時期は過ぎた、成熟した成人男性である。成熟した、というのは、相手の関心を惹こうと殊更に誇張された相手の仕草を、虚構は虚構であると看破する能力を備えた、という意である。

 無論、世間にはあざとい可愛さを愛でる一派が存在することは知っている、しかしながら、あざと可愛いなどと呼称されるそれらの仕草は、あくまで虚構を虚構として楽しめる者にのみ受容可能なものであって、そうしたメタ認知の能力がなければ、こちらはただ偽りの可愛さに騙されてしまうだけなのである。なお念のため付言すると、世の中には虚構とわかっていても騙されることを喜び、それを美徳とする一部のマニアが存在するが、そのようなマゾヒスティックな態度もまた、極度にメタ認知能力の発達した者にのみ許される高度な遊戯なのであって、やはり一般化し敷衍するには少々毒気が強すぎるのではないか。ぼくは至って平凡な一市民である。

「これくらいでしたら、バックヤードにあるかもしれません」

 こちらのときめきなど知る由もない店員は、腕をまるめて輪っかをつくったまま、ぼくを見上げた。お互いマスクを着けた者同士、ただの通りすがりの客と店員の関係とはいえ、ぼくと彼女との間に、何か特別な、時間を止めてしまうような力が働いたなどと夢想することは、罪であろうか。彼女は誰彼構わず客相手に腕をまるくして見せるようなことはすまい、この人はそのような人ではない、だがそのような妄想を逞しくするには、ぼくは少々人生の悲哀を舐めすぎ、これまで多くの失望を経験しすぎた。

「どういうことですか?」

 まるで訳がわからない、そんな顔をしてぼくが尋ねると、あの、もしお嫌でなければ、と店員はこちらの様子をうかがって言った。

「店で使っている植木鉢が、少々余っていますから、使用済みのものでもよろしければ、お譲りできるかもしれません」
「えっ、いいんですか?」
「ちょっと見てきますね」

 輪っかをつくっていた腕を解くと、彼女はパタパタとカウンターの向こうに去り、ドアを開けて奥へ引っ込んでしまった。

 なんというホスピタリティーだろう。ぼくは再び呆然として彼女の去った扉を見た。ここは一泊十万円もするような高級ホテルではない、市井の一花屋に過ぎないのだ、客単価だって平均すれば千円か二千円といったところだろう、客の要望に細やかに対応できるだけのスタッフを抱えているとも思われないし、そうやって心を尽くした対応をしても、客が再び足を運んでくれるとは限らない、いや、素敵なサービスをすればきっと客は来る、だってこうしてぼくはまたこの花屋に来たのだから、ここで植木鉢を買ったのは夢か思い違いだったとしても、人生初の花束を買い求めた、その時の購買体験が素晴らしいものだったからこそ、電車に乗ってまでして一人の客の再訪が実現した、そう思えば、目の前の客に最大限のサービスを提供すべきなのだ、それも心に残る、真のサービスを。

 だがぼくにはわかる、心を尽くせば客は再び店にやって来る、そうして何度もこの店を利用する、いわば顧客になってくれる、そのようなギブアンドテイク的発想から、彼女はあのような美しい提案をしたのではない。むしろ、見返りを期待する打算からあのような申し出は決して生まれ得ないのであって、彼女はまさになんの計算もない赤心から、ぼくに提案をしてくれたのだ。それはもはやサービスではない。金の対価として提供されるサービス、そんな薄っぺらい概念を超えたもの、全ての行為が貨幣との交換に置き換えられてしまったこの世界に残った唯一の良心、それが彼女をしてバックヤードへ駆り立てたのではないか。 

 そうやって目を閉じて静かに感動していると、バタンと扉が開き、ありました、と嬉しそうな笑みに目を細めた店員が現れた。見るとその手には赤ん坊が入りそうな大きさのプラスチックの植木鉢が抱えられており、たしかにその内側には土の汚れが付着しているものの、なんだそんなもの、彼女の優しい心遣いの前には土だろうが泥だろうがへいっちゃらだ、そう自分に言い聞かせるようにぼくは彼女を見つめて深くうなずき、彼女もまた、ぼくの目を見返したままうなずき返したのだった。

「ありがとうございます」

 あまり情熱を込めるとかえって気持ち悪がられると思い、ぼくは努めて冷静に礼を言った。

「少し内側が汚れておりますけど、これならいかがでしょうか」
「もう、イメージどおり、いやイメージ以上です。して、お代はいくらですか」
「いえ、そんな」
「そういうわけには参りません。お店のものをタダでというわけにはいかない。いくばくかでもお支払いしたい」

 毅然とした態度でそう言うと、少し俯いて何事か考え込むような表情を浮かべたものの、次に顔を上げた時には彼女の瞳に強い決意の光が宿り、それを見て、ああ、大丈夫だ、善意により出発した彼女の行いは、こうして店員と客というぼくらの関係をなんら損なうことなく、良識ある結末に着地することができるのだ、とぼくは一抹の寂しさとともに深い安堵に包まれたのだった。

「では、五百円、五百円を頂戴してよろしいでしょうか」
「もちろんです。お心遣いに感謝いたします」

 そう言ってから、ぼくはどきりとした。もしかしたら、この店も電子決済しか受け付けていないのではないか、あのような森の奥深くに座っていた占い師でさえ電子決済しか受け付けないぞと頑張っていたのだ、このような立派な花屋では、それはもう電子決済以外の会計はまったく想定していないのではないか。それにしても、ステイホームだソーシャルディスタンスだと言われるのを真に受けて部屋に引っ込んでいるうちに、世間はずいぶんと様変わりしてしまった。あちこちで電子決済が横行し、真っ黒な箱を担いだ連中がバイクだの自転車だのを乗り回してそこらを往来する、こんな世の中になろうとは誰も予想しなかったはずだが、街ゆく人々は平気な顔をしてこの世の中を受け入れている。ホモ・サピエンスの歴史がおよそ二十万年として、人間社会に急激な変化が生じたのは産業革命以降のここ数百年のことだそうだが、我々の脳は二十万年前からほとんど進化していない、そして人類は長らく変化のない平坦な生活を送ってきた、にもかかわらず、斯様に急激な変化が粛々と起きていて人々はそれを当たり前のように受け入れているというのは、実に不思議な気がする。巨大なエラー、人類が気付かぬうちに生起して我々の日常を侵食している誤謬がもし存在しているのならば、どうかそれが不可逆的な破滅をもたらすものではありませんように、と願わずにはいられない。我々はポイント・オブ・ノーリターンを超えてはいない、我々はまだやり直せる、そう信じたいものだ。

「現金でもいいですか?」

 震える声でそう尋ねると、カウンターの向こう側の店員はハイと元気よく答えながら、大きな透明のビニール袋に植木鉢をよっこらしょと入れるところだったのだが、彼女の意図せぬ独白にも似たそのよっこらしょという掛け声にぼくは一瞬我が耳を疑い、しかし素敵店員はよっこらしょなど言わないものだというその思い込みこそが、長らくの文化的洗脳によって我々に刷り込まれたジェンダーバイアスではなかったか、そう我が思想を反省しながら、何食わぬ顔で財布から千円札を取り出したのだが、店員は自らのつぶやきを敏感に察知したらしく、あら、すいません、よっこらしょだなんて、と可憐な照れ笑いを見せた。

(つづく)


いいなと思ったら応援しよう!

丸山 篤郎
ありがとうございます。皆さんのサポートを、文章を書くことに、そしてそれを求めてくださる方々へ届けることに、大切に役立てたいと思います。よろしくお願いいたします。