だいこんの花の咲く頃 240421
もうこんなに経ったのかと驚きです。
今日は両親の十三回忌です。
さいとうの両親は12年前に1ヶ月違いで亡くなったもんですからバタバタしました。ふたり共に居なくなったので聞き忘れてたことは多く、あ〜、あのとき聞いときゃよかった〜、なんてことはいくらでも出てきました。 通帳どこ? とか。
加えて、親の年齢を辿るたびに、聞いときゃよかったー、ってことも増えていった気もします。「結局あの時はどうしたの?」などなど。
でも、、、
いい年齢になると(退職してしばらく経つと)、おそらく考えていたことなんてほぼ同じだろうし、感じていたことも大差ないだろうし、これからも平穏に過ごせればいいじゃないかと思いはじめ、時は流れて12年。
いや、両親はもう少し真面目に考えていただろうか。
…。
父は頑固で真面目そのままの人でした。仕事もやり遂げた立派な人ですが、若き日のさいとうにとっては、そんな人生の何が面白いのかわからず、好きではありませんでした。
なもので、父に反発。みんな並んでエスカレーターで上がって行くような人生は嫌だー、と父とは真反対の人生を選びました。
さいとうはもっと家族を大切にしたかったし、子供と一緒にたくさん遊ぶんだーと決めていたのです。ま、単に、父との楽しい思い出が少ないから、そんなことを思ったのでしょう。
戦争を経験した父にとっては、凡蔵息子と思われたでしょうが、、、末っ子だから勝手にせー! と諦めてたかもしれません。
上の兄は大企業、下の兄も一流企業に勤めたのに、私はどう転ぶがわからない会社に就職。
心配してただろうと思います。
ですが、兄たちは出世したのに仕事を辞めました。役職が上がるにつれ組織が見えて嫌になったのかもしれませんが、詳しいことは聞いていません。ふたりとも独自の道を選びました。
一方、反発してた私は無難に勤め、最後は近くに住んでたので両親の介護もして、、、なんかなぁ。
人生は本当にわからないものだと思います。
父は戦争で満州に行き、結核を患ったことで体が弱くなったのではないかと思います。
肺が弱いので肺炎や気管支炎での入院はしょっちゅうだったし、胃の調子も悪くなり度々入院。母も大変だったと思います。
母はそんな頑固な父をよく支えたと思います。父への不満は直接言えないので、末っ子の私に「病気ばっかりして何もせんくせにねぇ、、」とやよくブツブツ言っていました。
母のすばらしいところは3兄弟を仲良く育てあげたことだと思います。他人の揉め事はよく聞きますが、さいとう家の場合はそれが全くありませんでした。
なので、両親が亡くなってからの分割手続き等も司法書士などに頼まず自分たちでやることができました。
ただ、あの頃は印鑑の時代でしたからね、
「どれがどの印鑑?」
聞いときゃよかったーと手続きに時間かかりましたよ。
ありゃ、関係ない話になりました。🤫
ま、今はパスワードなんでしょうね。
さいとうは病気で入院した時、死ぬかもーと思いましたから、息子に全て伝えました。
他に息子に残すものなんて、このnoteくらいです。
さて、法事。