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宗教2世小説 第5話:ロスジェネ少年は頭脳明晰

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第5話:ロスジェネ少年は頭脳明晰

長かった太平洋戦争が終わった。

日本では戦後すぐにいっきに多くの赤ちゃんが生まれた。世界でも稀に見るこの赤ちゃんラッシュ現象は『ベビーブーム』と呼ばれ、その赤ちゃんたちはのちに『団塊の世代』と呼ばれ始める。

1940年代後半に生まれたその『団塊の世代』たちは1970年代に20代となり、結婚し、彼ら彼女らも多くの赤ちゃんを生んだ。その現象は『第二次ベビーブーム』と呼ばれ、その赤ちゃんたちはのちに『団塊ジュニア』と呼ばれ始める。

ベッドタウンの核家族

日本のどこにでもある地方都市の新興住宅街。ここは戦前までは田畑が続くのどかな田舎町だったが、戦後になって急速に土地開発が進んだ。

このような戦後の新興住宅街は日本中に多く点在し、この頃からこのような街を『ベッドタウン』とも呼ばれ始めた。昼間、都市部の会社や遠くの工場で仕事をしたお父さんが、電車や自家用車で、夜に眠るために帰ってくる町だからだ。

『団塊世代』の多くは結婚後、親との同居を希望せず、新しい家族形成を望んだ。このような祖父母がおらず親と子供だけの世帯は戦後『核家族』と呼ばれた。

『団塊世代』以降に日本に爆発的に増えたこの『核家族』は祖父母がいないぶん生活の自由度が高く、よくある「嫁姑問題」などが起きにくい。しかしその反面、子育てに悩むお母さんも爆発的に増えた。

戦前や江戸時代までの日本は元々農耕民族だったこともあり、多くの人々が自分が生まれた家の近くで子や孫も生まれていき、自分の父や母も子育て、いや「孫育て」をいっしょに手伝ってくれたのだろう。戦後しばらくもサザエさんのような祖父母との同居も多かった。

また家族以外の近所の人も半分家族みたいな感じで、子育て・孫育てを手伝ってくれたのだろう。宗教母さんの実家のように一族郎党が大家族のようになっていた地域もあった。これは現在でも多くのアジア諸国で見られる現象だ。

戦後の新興宗教は団塊世代の『子育てのコンビニ』

しかし、高度経済成長期を過ぎ、安定成長期に入ってきた1970年代の日本は個人が自家用車を保有する『モータリゼーション』の発達もあり、多くの核家族が自家用車を持ち、祖父母の家庭とは付かず離れずな「適度な関係」を維持していたのだと思う。

『団塊世代』は自宅の庭のカーポートに停めている自家用車で、まるでロードサイドのスーパーマーケットや、この頃、全国にでき始めた『コンビニ』のように、必要な場合のみ「コンビニエンス的」に祖父母の家を利用していたように思える。

彼らは親の時代とは違い、掃除は「掃除機」、洗濯は「洗濯機」に家事をアウトソーシングしていた。スーパーやコンビニで「お惣菜」や「インスタント食品」を購入することはある意味、炊事もアウトソーシングだった。

彼らにとってはそのアウトソーシング先のひとつが「祖父母」だったのかもしれない。
しかし戦後のアメリカ式の教育を受けた彼らの目には祖父母の代の子育ては前近代的で、家父長的で、旧憲法的に映っていた可能性がある。OSが古く感じたのだろう。

その頃、爆発的に増えていた戦後の新興宗教はその団塊世代の彼らの『子育てのコンビニ』として機能したのではないだろうか?この頃の新興宗教には当時の新日本の最新OSが搭載されていたとも言える。

また、多くのコンビニがフランチャイズ経営で中央集権的な情報ネットワークを持っている構造と同じで、戦後の新興宗教も中央集権的で全国に多くの同世代のネットワークを持っていて情報共有できていることも強みだったのだろう。

SNSもオンラインサロンもなかったこの時代、同世代の育児情報ネットワークこそが団塊ジュニア世代の、特に母親が一番求めていたモノだったのかもしれない。

急速に経済が発展したこの時代は祖父母という縦のネットワークよりも新興宗教という横のネットワークこそが彼女たちにとって最新のOSであり、最新のSNSであり、最新のオンラインサロンだったのだろう。

その新興宗教の規模は団塊世代にとって「よりどりみどり」状態だった。戦後の日本には雨後のタケノコのように新興宗教ができていたからだ。

戦前の日本が『神道』というひとつの宗教にまとまってしまった「反省」から、戦後は占領国アメリカにより『信教の自由』が認められ、多くの新興宗教が誕生していた。

政治家にとっては『票集めのコンビニ』

その団塊世代にとって『子育てのコンビニ』だった新興宗教はやがて政治家にとっては『票集めのコンビニ』と化していく。なぜなら戦後の民主主義とはイコール「選挙」であり、「選挙」とはイコール大衆からの「票集め」のゲームと化していたからだ。

「票集め」がゲームである以上、効率よく、つまりコスパよく「票集め」した者が勝者になる。なぜなら政治家の時間も、選挙事務所の人員数も限られているからだ。最小の労力で最大のリターンを目指すのは企業による「営業」と同じだ。

企業による「営業」には大きく分けて2種類ある。
対法人相手の「法人営業」「ホールセール」等とよばれる営業と、対個人相手の「コンシューマ」「リテール」等とよばれる営業だ。当然、法人相手の営業の方がコスパがよくなる。法人営業と個人営業が別組織になっている企業も多く存在する。

一般大衆から見ると多くの企業はテレビCMなどで個人営業を頑張っているように思えるが、実は本丸は法人営業だ。なぜなら企業にとっては法人営業のほうがはるかにコスパがいいからだ。

政治家や選挙事務所にとっては個人営業は街頭演説や選挙カーでの遊説になるが、それは大衆向けのパフォーマンスであって、本丸は法人営業だ。そしてその法人営業でもっともコスパがいいのは宗教法人への法人営業だ。

理由は信者が投票日に必ず選挙に行ってくれるからだ。雨が降ろうが槍が降ろうが。
なので日本の戦後の政治家の主幹業務はいつしか「宗教団体のハシゴ」に傾いてゆく。

宗教団体のほうも「政治家」というインフルエンサーをどれだけ多く抱えるか?というゲームと化していった。YouTuberの事務所やスクールと同じだ。

そのためには信者数の拡大や、多くの資金を集める必要が出てきた。
とある宗教団体は信者に過剰な献金を求めだした。高度経済成長を経験した日本の核家族には余剰資金がある家族も多かったからだ。

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