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私たちは「震災前」をどう生きるか
自分の中でずーっともやもやしていること、ありませんか。
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わたし探求メディア「Molecule(マレキュール)」にて、取材記事を書かせていただいている。
働く子育て世代の生き方・働き方のヒントとなるような、「わたし」主語のワクワクを大切にした記事をお届けするのがコンセプトである。
今回は、わくわく実験工房を主宰するかたわら東日本大震災の語り部を続ける糸日谷美奈子(いとひや・みなこ)さんにお話をうかがった。
糸日谷さんのお話を伺ったことで、私の中にくすぶっていた「東日本大震災にまつわるもやもや」が、少し昇華された。
今、そんな思いを抱いている。
実家が被災したくせに、なにもできなかった私
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2011年3月11日。
私は首都圏にある自宅マンションで、ソファーに寝そべって本を読んでいた。
次男の妊娠が分かって間もない頃だった。
切迫流産で安静指示を受け、休職していたのだ。
寝たきりの状態ではなかったものの、病院の先生からは、できるだけ大人しく過ごすようにと言われていた。
14時46分。突然の大きな揺れに驚き、思わず玄関から飛び出した。
マンションの目の前にある公園には近所の人たちが数人集まっていて、その中から「宮城県沖らしいよ」「津波?」という声が聞こえた。
私の実家は宮城県の沿岸部にある。
そこからのことはあまり細かい記憶がない。
実家の家族とは比較的早く連絡がとれ、無事が確認できたものの、その後すぐに電話がつながらなくなってしまった。
長男の保育園お迎え帰りに立ち寄ったコンビニで、商品棚がおおかた空っぽだったことや、都内勤務の夫が歩いて家にたどり着いたのは夜中だったことは、覚えている。
そして、停電から復旧してすぐにつけたTVから流れた、津波の光景。
なじみのある地名から報告される死者・行方不明者の数。
実家は津波で全壊していた。
教員になって初めて勤務した地域も甚大な被害を受けた。
妊娠初期の体調の悪さと、日々報道される状況の悲惨さに、ふさぎこんでいた記憶だけが残っている。
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私は実家を見舞うことも、被災地でボランティアをすることも、なーんにもできなかった。
わずかな救援物資を送るくらいで、あとは自分の気持ちを立て直しながら生活を維持するのに精一杯だった。
安静を要する妊婦だったのだから仕方がない。
私が他人ならそう言うだろう。
でも、「とはいえもうちょっとやりようがあったのでは?」と思っている自分がいて、その気持ちは震災から10年以上経っても消えることがない。
そんな中で知ったのが、糸日谷さんの活動だった。
糸日谷さんがたどった、被災からライフシフトまで
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糸日谷さんは東日本大震災当時、岩手県釜石市の中学校の先生だった。
後に「釜石の奇跡」と呼ばれる、すぐれた避難を行ったメンバーの一人である。
しかし被災経験は「助かってよかったね」で終わる単純なものではなかった。
詳しくはこちらのインタビュー記事をお読みいただきたいのだが、糸日谷さんと生徒たちはたくさんのことを乗り越えながら、復興への道を歩んでこられたのだ。
その後、糸日谷さんはご家族と一緒に千葉へ移住。教員を退職し、新たな生き方を選ぶこととなる。
糸日谷さんが「学ぶ楽しさを伝えたい」「後悔しない生き方をしたい」と考えるに至ったのは、被災経験が少なからず影響しているだろう。
糸日谷さんから私が勝手に受け取った「宿題」
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糸日谷さんのお話を聞きながら、私は自分の中の「震災体験(といっていいのかどうすらためらわれるが)」が再構成されるような感覚をおぼえていた。
生き方や働き方をシフトチェンジしている点、自分も共通する部分があり、勝手に親近感をおぼえたことも大きかったかもしれない。
もちろん、糸日谷さんが乗り越えてきたことの前では、私が東日本大震災で体験したことなんて比べ物にならない。
だから、たった1本の取材記事で自分の罪悪感が帳消しにされるとは思っていない。
でも、糸日谷さんのお話を一人でも多くの読者に伝えられたら、震災時何もできなかった自分のダメさ加減が1000分の1でも軽減されるような……そんな気がした。
むしろ、糸日谷さんが語ってくださったことを糧にしてこれからを生きていくのが、私が勝手に受け取った宿題なのかもしれない。
よく言われることだが、私たちは全員「3.10」を生きている。
いついかなる災害が起きても不思議ではないこの国では、今この瞬間が「被災前の平穏なひととき」かもしれないのだ。
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