見出し画像

読書家に対する捻くれた見解

⚠️口も悪けりゃ性格も悪いです⚠️


読書は別に好きじゃないし、「読書が好き」とか言ってるヤツも好きじゃない。

悪いね。少し嘘をついた。
正確にいえば、「正直読書は好きなのだが、読書好きをわざわざ公言しているヤツとあまりにも馬が合わないから、読書嫌いということにしている」のである。

うーん、捻くれすぎだ。
でも、この感覚って割とみんな持っているんじゃないかな? 実は。

まずさ、「今月何冊読んだ」とかでマウントとるなよな。だっっっるいわ。
斜め読みでも何でも、冊数読んだら偉いと思ってんのか? そういう価値観は小学生のうちに卒業しておけよ。数を誇るな、質を誇れ(?)

……ってか、学校も学校じゃない? 学校の読書活動のあり方も「とにかく冊数を読むことが偉い」という価値観を植えつけることに加担している気がするわ。マジで勘弁して。
まあ、義務教育を受けているような年齢では、とにかく読解の数をこなすことが必要なのかもしれないけどさぁ。

あと、「本読むの早い」自慢な。

「私、本とか一時間で読み終わっちゃうから、暇つぶしにならないんだよね〜」

以前、本を読んでいる私に対して放たれたセリフ

──あっそ、で?

まあ、一時間で読み終わるような本もあるよね(嫌味)
けどさ、お前は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』とかも一時間で読むんか? それで理解できるんか? あ??
てめぇの読む本と私の読む本は違うんじゃタコナスビ。

ってか、そんなにサクッと読み終わる本が好きなら、ショーペンハウアーの『読書について』でも読んでみればいいんじゃないですかね(嫌味)(読書マウント)

読むペースとか、一ヶ月に読める冊数とか、そんなもん読み方とか本のジャンルにもよるだろ。色んな意味で人それぞれだし、そこに優劣もない
意識的なのか無意識的なのか知らんけど、そういうところを無視して冊数がどーたらこーたら言ってくるヤツほんま嫌い。最悪。どっか行って!!

ついでに言っておくと、「読書によって新たな学びを得よう」とか言っているヤツも「読書は純粋な楽しみのためにやっているんです〜」とか言っているヤツも両方嫌い。ちょっと性格悪すぎねーか?

「学び」だの「成長」だの「自己啓発」だのの文言で本を勧めてくるヤツは胡散臭い。

まずさ、成長って、しようと思ってできるものなのかよ?
結果的に・・・・本が人の成長につながることはあっても、端っから(具体的なスキル等ではなく人格的な意味での)成長を目指してする読書に、果たして意味はあるのか?
──人格の涵養を狙って、本を読んで、それで思った通りに・・・・・・成長したと感じたのなら、その本は最初から必要なかったってことじゃねーのか?

思えば、これって「歴史から学ぶ」的な文言ともオーバーラップするな〜〜
歴史から・・学ぶんじゃないんだよ。「現代でも役に立つ教訓を得よう」みたいな目的ありきではいけない。そうじゃなくて、歴史学んだ結果として、歴史から学ぶことになるんだ。
そうでなければ、歴史解釈はプロクルステスの寝台という陥穽に陥ってしまう。要は、物事を自分の物差しに都合よく当てはめて解釈してしまうということだね。

きっと読書も同じなんだ。
まあ、現代人は忙しいから、目的ありきの読書もやむなしなのかもしらんけど!! みんな、もっと無駄を楽しめよ!!!

で、あとは「読書は純粋な楽しみ」とか、わざわざ言うヤツね。
本当に心の底からそう思っているのなら、いちいち「読書は純粋な楽しみ」なんて言わない気もするけどな(邪推)

こういう言葉が出てくるのは、多かれ少なかれ「読書は高尚な趣味である」という認識が根底にあるからじゃないのか?
だって「ゲームは純粋な楽しみ」とか「ネットサーフィンは純粋な楽しみ」とか言わないじゃん。

…というと、彼らはこう反論するだろう。

「読書が高尚だと思っているのは、私ではなく私の周囲の人間である」
「私はこんな風に考えている周りに対して、誤解がないよう自分のスタンスを説明しているだけだ」

──なるほどな。でも、それって傲慢じゃね?

みんなが高尚だと思いがちなものを、あえて純然たる・・・・娯楽として楽しんだ上で、そのことを他者に向けて説明する。
自分が高尚なものをただの娯楽の次元に置けるような人間だと、暗に仄めかしているわけだ。

しかも、「学びとかそんな御大層なものじゃなくって、ただ楽しみのためにやっているんですよ〜」という謙虚な・・・言葉によって、知的な人に向けられる尊敬を集めつつ、高踏的で偉ぶった人間という誹りを免れようともしている。

「誤解を避けよう」とするのは、そういうことだ。

だってさ、この場合、別に誤解されたままでも大して困らなくない?
「あの人には読書という高尚な趣味がある」とか「あの人は本から何かを得ようという目的をもって読書している」でもいいじゃんね。

そこでわざわざ誤解を解くってことは、誤解を解くことそれ自体に意味があるってことなんじゃないの?
つまり「高尚なものを高尚であるとも思わず、これといった目的も定めず、純粋に楽しむような知性の持ち主」であることを、無意識的にでも印象づけようとしているんじゃねーの?
あるいは、「みんなも私と同じく、楽しみのためだけに読書をすればいい。読書の魅力を知らないみんなに、そうすべきなのだと伝えてあげなくちゃ」という精神的貴族のパターナリズムなんじゃねーの?(これは悪いようにとりすぎかもしれないけど……)

なあ、これを奸智と呼ばずして何と呼ぶんだよ?
読書家本人に対してさえ巧妙に隠蔽された傲慢以外の何だというんだ? 教えてくれよ。

まあ、そういうわけで、私は「読書が好き」だなどと公言するような人間が好きじゃないのだ。

いや、読書が好きなこと自体は別にいいんだよ。
大体、読書しないよりはした方がいいだろうさ、そりゃ。

ただ問題は、読書好きをわざわざ・・・・周囲にアピールすることなんだ。
一言でいうと、ウザい。アピールするヤツが読書に対してどういうスタンスをとっていたとしても、大抵は常にどこか傲慢の香りが漂っているからかな。

だから、私はあえてこう言ってしまおうと思う──読書なんて好きなわけあるかバーカ!!

いいなと思ったら応援しよう!