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「できない」の悪循環

塾講師のアルバイトをしていて、最近分かったことがある。
ある教科が極端に苦手な子は、できないから、もっとできなくなる一方ということだ。

例えば、数学が苦手な子がいたとしよう。

普通、数学ができるようになるために必要なことは、徹底的な反復練習である。
それは、数学がアクションゲームに似ているためだ。

大抵の場合アクションゲームは、ターン制RPGとかより使うコマンドが少ない。
そこにあるのは、敵の攻撃、回避やパリィ、こちらの攻撃。これだけだ。
代わりに、これらのパターンを頭に叩き込んで、ノータイムで反応できるように練習する必要がある。

数学も同じだ。覚えなければならない公式・定理自体は少ない。
代わりに、問題を見た瞬間、ノータイムで適切な公式・定理を当てはめ、それなりのスピードで計算していく必要がある。

「解の公式ってなんだっけ?」とかオロオロしている時間は一秒もないし、単純な四則計算に手間取っている場合ではない。

「ああ、このパターンね」と、考えるより先に迷いなく手が動き始めること──それが、数学というゲームを攻略するコツなのである。

それでは、数学が苦手な子は、何度も反復練習さえすれば数学ができるようになるのか?
──私の答えは「できないことが多い」である。

そもそも、彼らは数学が苦手なのだ(小泉構文)。

だからこそ、反復練習をしようにも、公式・定理を当てはめる段階で躓く。
「えっと、ここのaにはこの数字を当てはめて……それで……」みたいなことを、テスト前日にやっている。遅いよ!!

結果として、数は多くない公式・定理ですら、手に馴染むほどにはきちんと覚えることができない。
もちろん「このパターンなら、この公式/定理が使えるな」という勘や思考回路も一切育っていない。

一つひとつの計算が凄まじく遅い。マジで遅い。誇張抜きで、数学が得意な子の10倍はかかる。

要領が悪く「こうすれば楽に解ける、計算できる」という勘がとにかく働かない。
計算がドツボにはまると自力で抜け出せない。

こうした問題が解決されていない中で、反復練習をしたらどうなるか。
とにかく量をこなせないのである。

彼らが1問解く間に、数学が得意な子は5問も10問も解いている。
同じ時間勉強したとしても、その中で解ける問題の数が全く違う。当然、公式・定理を使い慣れるまでのスピードも桁違いだ。

それに、あまりにも計算が遅いと「今、自分が何のために何をやっているのかが分からなくなる」ということが起こってくる。
つまり「私はこの公式・定理を使っているぞ!」といった目的意識もないまま、漫然とよく分からない計算を行うという、凄まじく無意味な状態が生じるのだ。

結果として、その範囲の習熟度に大きな差が出てくる。
数学の勉強時間自体は確保しているにもかかわらず、その「質」が低すぎるがために、いつまで経っても習熟しない。得意な子との差が広がり続ける。

この問題を解決するためには、算数レベルから徹底的に計算に慣れさせるといったことが必要不可欠なのだろう。
チンタラやっていたら解けるものも解けない。重要なのは「解けるリズム」に乗ることだ。

しかし、ほとんどの生徒(と生徒の家庭)は、そんなことやってられない。
彼らにとって目下最大の目標は、次のテストの赤点回避なのだから。悠長に算数の学び直しなどしていられないのだ。

結果として、私たち塾講師にできるのは「とにかく今、分からない問題を解説する」という応急処置だけなのである。

(まあ、「算数レベルの計算」って、講師に教わるというよりも自分でやらなきゃいけないことだしね……)

我々の仕事は「数学が苦手」ということに対する根本的解決にはならない。
根本的な解決をしたければ、彼らが自分で努力をするしかない。

しかし、今まさに赤点の危機にさらされている彼らが、理解できない数学の問題を必死に「暗記」しようとしている彼らが、要領や計算スピードといった土台部分に目を向けられるだろうか? 着手できるだろうか?

否。そんなことをしている余裕はない。
数学が苦手だから、計算ができないから、余裕がないから、根本的な課題解決に着手できずに、その場しのぎで問題集の解説を丸暗記するしかない。

それでは、いつまで経っても成長できるはずがない。テストが終われば全てを忘れる。できるようになるための積み重ねができない。
八方塞がり。できないから、もっとできなくなっていく。完全なる悪循環。

もちろん、これは数学に限った話でも、勉強に限った話でもない

私がやっているのは、砂上に楼閣を建てる作業なのだ。もはや諦めの境地。
こんなこと、生徒本人には決して言えないけど……

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