見出し画像

ディストピア飯と、食文化への罵詈雑言

ベースフードのカップ焼きそばを食べている。健康によさそうな麺と、ありのままの大豆ミートの味がする。
食事ではなく餌だと思って食えばわりあい美味い。こういうのは、食事(=娯楽)と思うからだめなのだ。ディストピア飯上等である。

というと「食事の喜びはどうなるんだ」みたいなことを言ってくる人がいそう──というか私の身内がそうなのだが、全くもって大きなお世話である。
私に言わせれば、毎度毎度「食事の喜び」なんてものを求める方が病的に見える。まあ、本人が自発的に楽しくやってるなら病的じゃないんだけどさ、必ずしもそうじゃないだろう? どこかに「食事とは、美味しく贅を尽くした料理をみんなで囲む、祝祭であるべきだ」という強迫観念じみた思い込みがあるんじゃないのか?

にもこんな話をしたが、現代の食文化は何でも過剰だと思う。そもそも、我々は食べ物を作りすぎだし、食べすぎだし、捨てすぎなのだ。
糖と脂質でできたごちそうを頬張りながら、痩せたいと抜かす。子どもに食事を残すなと言いながら、アホみたいな量の食品ロスを出している。いびつだ。

食事の「量」だけではない。「質」に関しても過剰だ。

まず、「食の喜び」への信仰に見られる美食への執念は、もはや常軌を逸している。
現代の料理なんてものは、すでに一種の人工物アートだろう。世界各地のありとあらゆる食材を組み合わせ、様々な調味料・香辛料で味つけする。凝った調理手順も枚挙にいとまがない。
思えば料理は遊びだ。だというのに、人は料理が遊びだということを忘れてしまった。そして「料理を作るのがめんどくさい」と言っている。義務感で「遊ぶ」くらいなら、やめてしまえばいい。グラノーラでも食ってろ、私はそうしている。

ついでにいえば、「温度」への執着も異常である。
子どもの頃から「熱いうちに召し上がれ」という言葉が嫌いだった。「少し冷ましてから食べるよ」と答えると露骨に嫌そうな顔をされるのを含めて。
猫舌だから、熱々だと食べづらいんだよ。ひどいと火傷するし。ってか、熱いもの食べてると途中で汗かいてバテてくるだろ。それが嫌なんだって。スリップダメージが入るの。分かるか?
あの「熱い料理は必ず熱いうちに食べなければ/食べさせなければならない」という教義はなんなんだ。熱いもの食いたくねーっつってんだろうが。

しかも出された熱いものを食べきるまで、食卓から離れることを許されないのもクソだ。今は飯の気分じゃないんだよ! そして熱いものを無理に食わされて疲れたんだよ! 離れたくても離れることを許されないとか、カルト宗教の礼拝かよ! だから食事って嫌いなんだ!
料理を熱々の状態で出すことを、疑う余地のない善行と信じ、こちらに喜ぶよう強いてくるのもうんざりだ。「ほうら熱々の料理だよ。当然嬉しいよね?」みたいな。嬉しくないです。ぬるい方がいいです。喜ぶことを強要しないでくれ。

それと、食事はきわめて儀礼的だ。マナーが多い。多すぎる。だから食卓につくのは嫌なんだってば。あんなにマナーが多い文化領域、他にあるか?
悲しいかな、私は信じがたいほど手先が不器用なので、気をつけていてもバカみたいに食べこぼす。具体的にいうと、味噌汁と納豆ごはんがきれいに食べられないし、おにぎりは食べている途中で崩壊する。そして「食べるの下手だね」と笑われる。
だったら、人と飯など食わない方がいい。マナーがなっていないだの食うのが下手だので恥をかくくらいなら、食事という文化そのものとおさらばしてしまった方がいい。

悪いかよ、先に笑ったのはお前だぜ。量を食べない私を。質を気にしない私を。熱すぎるものを嫌う私を。どうしてもきれいに食べられない私を。
そうして私が「食事」を嫌ったとき、「こいつは元から食べることに興味がないから」で片づけるのは楽だろうさ。まあ、実際そういう側面もあるしな。絶対それだけじゃないけど。

あばよ食文化。こんにちは「ディストピア」飯。
自由になった今日この日から、君こそが私のユートピアだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?