"音情報"配信は受け手のハードルを意識しよう
タイトルにある"音情報"の音とは、今回は音楽や効果音ではなく主として文字を音で表現したときのことを指しています。例えば、会見や会議、インタビューや書籍の朗読のような文字情報を音にした時のことを取り上げています。
目次
・文章の書き方は何でも「起承転結」では済まない
・読む目的・聞く目的
・音情報を受け取めてもらうことのハードルの高さ
・音情報の"強味"
・最後に
文章の書き方は何でも「起承転結」では済まない
あちこちnoteにお邪魔していると文才に長けた方が実に多く、そんな中で今更こんなことを書くのは恐縮なのだが、筋道として先ず文書の構造についてあえて書かせていただきたい。(なお、自戒を込めていることは言うまでもない)
基本的な文書の構造として浮かぶ言葉に「起承転結」があろう。
メリハリの利いた文章イコール上手な文章。学校でも先生が「起承転結」とよく言っていた。文章の書き方的なテキストに「起承転結」と書かれていた‥。しかし「起承転結」を守れば何の文章であっても通用するかと思いきや、あながちそうは言いきれない。
文章には"目的"があり、その目的に応じた"方法"がある。
例えば、小中学校で書く作文や感想文、意見文は「主観的文章」だし、報告文や説明文は「客観的文章」だ。前者は「起承転結」で良いだろう。そして"転"の根拠が必ずしも示される必要はない。
だが、事実だけで書かれる後者の場合どうだろうか。事実とは、正しいことを証拠をあげて裏付け、誰が読んでも同じ結論に至ることだ。
実務的・学術的な文章を書く際には, 「思ったまま, 感じたまま」を書くことが期待されることはない
(放送大学「日本語リテラシー」2016 滝浦)
そこに"転"は不要だ。つまり「客観的文章」の文書構造は「起承結」が適切である。
ついでに言うと、エッセイが上手になっても説明文や学術的な文章も自然と上手になるというわけではない。逆もまた然り。目的の違いがあり、それを意識する必要があるからだ。
読む目的・聞く目的
さて文字情報をどう取り扱うかだ。
一般的に文字を「読む」機会に比べて「聞く」機会は少ないように思う。—ここでいう"文字情報"とは、テレビやラジオのニュース、誰かの演劇や講演などを見聞きするのではなく、例えば書籍やインターネット上などに書かれた誰かが書いた文章を指す。
市販されている音声読み上げ機能付きペン型スキャナーや視覚障がい者が使用しているようなスクリーンリーダーで読み上げるという方もいらっしゃるかも知れないが、殆どの方がそのまま目で文字を追うのではないだろうか。
AmazonにはAudible(オーディブル)というオーディオブックサービスがある。これはアプリを通じてプロのナレーターや俳優陣が朗読した本が聞けるサービスだ。スマートフォン、タブレットやPCで利用できる。
例えば先日亡くなった大杉蓮さんによる朗読で伊集院 静『大人の流儀』シリーズが提供されている。
Amazonのウェブサイトを見ると、電車や車での通勤中、寝る前、ランニングなどの運動中といった「耳だけが空いている」状態といったシーンを想定して、オーディブルを勧めているようだ。
こういったオーディオブックは以前からあるけれども、これらを利用する前提条件として何かしらの目的・きっかけや強いニーズが必要に思える。
「そこに文字情報がある」→「耳で聞く」とはなかなか一足飛びにはいかないのではなかろうか。文字通り目を通す、即ち先ず読むのではなかろうか。
また、耳で聞くためには、印刷された文章やウェブコンテンツとして置かれた文章、そういったものを音に読み取るためにに更に何らかの"道具"があってこそだ。まず"音が出る"または"音が出せる"ツールがいる。それから、音を出せない場所ではイヤホーンやヘッドホンが必要になるだろう。電車内や職場など他に誰かいる場所で音を流すのは、何かの理由があればともかく例え音量を絞ったとしても難しい。
音情報を受け取めてもらうことのハードルの高さ
"先ず音"とならない理由として、音は情報量や位置の把握がとらえにくい、というのも背景にありそうだ。
例えば書籍であれば目次がある。目次を読めば、内容についてあらかた想像がつく。
読書家は本の厚みやぱらぱらとめくった感じで経験的にどのくらいで読めそうかの推察もできるだろう。要点だけや読みたい章だけ、またはさっと読み飛ばすこともできる。
かたや音声だったらどうだろうか。
どういった内容なのかは聞いてみないと判らない。どのあたりに何の情報があるか判らない。早送りにして聞くこともできるが、行き過ぎたので戻した、また行き過ぎたを繰り返すこともある。音情報は文字情報に比べ、受け手が求められている"受け身度"が高過ぎるのだ。
では、目次に代わるものがあったらどうだろうか。文字情報で提供してもよいし、音声でしか提供できないのであれば、目次として「これこれという情報が何分頃にある」という音声情報を最初に提供する。むろん目次部分は聞いていなければならないのだけれど、この先どこに何があるかわからない目的地に連れて行かれるよりは見当がつくのではないだろうか。
それ以外にも、日本語の特性として同音異義語がある。表意文字である漢字で書くことでその意味を限定している。文脈の前後の意味合いから意味合いを理解することができるけれども、その対象となる言葉の音だけでは聞いた人皆が皆、同じ意味を頭に浮かべるとは限らない。
音情報の"強味"
こうして考えると音だけで情報を伝えるのは、なかなか難しそうだ。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった五感をフル活動して私たちは周囲からの情報を受け止め、判断している。その割合は8割とも9割とも言われているが視覚情報の優位性の高さは間違いないだろう。
ただし、文字情報に対し音の強味が当然ある。
例えば音の強弱や大小は文字情報では表しづらい。(ネット動画のキャプション-ルール作りの提案「さいごに~日常でも字幕を試してみよう」の章)
特にインタビューのような話し言葉は、文字おこしをすると話し手のニュアンスがどんなシーンでも誰でも同じようになってしまう。
その点、音情報は話し手が冗談ぽく話しているのか真剣に話をしているのか、今の発言は男性なのか女性なのか、はたまた特定のAさんなのかBさんなのかといったことがダイレクトに伝わる。
その区別を文字でしようとすると、キャプションの書き方の注意でも紹介したように、何かしらの記号を付与したり、説明文を足すといった工夫が必要だ。
また、臨場感を伝えたいといった理由で、録音したもの(あるいは録画したもの)をそのままで流すのはやめた方が良い。
- 話し手がものすごく話術に長けていて、放っておいてもメリハリがある内容である
- 台本ありきや話の筋が決まっているもの
- 目的が単なる情報公開であり生放送に準ずるもの(この後で編集したものを流す)
などといった生データとして公開する明確な理由や目的があれば良いだろう。しかし音の受け止め方は人それぞれで小さな音は聞こえにくい、また機会を通した音を聞くのは不得手という方もいる。バックに雑音があると会話がきれぎれになる。少し英語が理解できるけど、電話や飛行機・電車内の音に紛れるとよくわからない、という経験がある方もいると思う。それと同様だ。
文書構造として起承転結(あるいは起承結)があるように、音情報にも構造が必要だ。事前に台本で話の筋道を用意しない、またはできないのであれば、編集作業はそれに類する必要な作業と考えるが、いかがだろうか。
最後に
基本的な文書の構造があるように、音で情報を伝えることを主とするならば聞き手のシーンを意識することが大切だ。
書き手の立場で書くな, 読み手の立場で書け
は、放送大学の「日本語アカデミックライティング」第2章 わかる文章とは?で紹介された言葉だ。この授業はアカデミックライティングとあるように、学術的な文章の書き方の理解を目的とした内容で、うまい文章ではなくわかる文章、客観性のある文章についてを学ぶ。
(ラジオ授業なので、テキストがなくても理解しやすいと思うのでご興味がある方はぜひ。同じ先生の授業で、この日本語アカデミックライティングの入門にもあたる「日本語リテラシー」も面白いです。こちらはテレビ視聴できます。一科目から受講できますよ。)
文章の書き方を指南する上での言葉ではあるが、音についても同様なのではないだろうか。
ウェブコンテンツとして音情報(動画もだが‥)を配信する時には、受け手側のハードルの高低を考え、それらと自分の環境との差を意識することが必然と考える。
最後に、音に関するウェブアクセシビリティの達成基準へのリンクをいくつか記述する。実現にはハードルが高いものもあるが、意識することで音情報を広い聞き手に届けることができるだろう。
1.2.9 音声のみ (ライブ) : ライブの音声しか含まないコンテンツに対して、それと同等の情報を提示する、時間依存メディアの代替コンテンツが提供されている。 (レベル AAA)
(了)
意見文は独りよがりになりがちで、この文章を書いてても自分自身悩ましいところですが、ウェブコンテンツとして誰しもが気軽に文字情報以外に動画配信や音声配信を多数行っているを考えると、やはりある程度の「お作法」の意識付けが必要なのではないかと考え問題提起も兼ねてしたためてみました。
ヘッダー写真 撮影地 ニュージーランド キャベンディッシュ山からみたクライストチャーチ市内 ©moya