唐(中国)の者が、奈良(ヤマト)に国を作った
・高松塚古墳に描かれた唐風の服装
イニシエにカラ(唐)のモノの悪者がヤマト(奈良)に国を創りました。
その子孫が今の天皇家です。
そしてそれまでの日本の国のことは隠されて、(ヤマトの権力者の都合の良い)漢字で歴史書を創り上げたのです。
それで漢字で書かれた日本書記や古事記だけが、正しいとされ、その他の(文献は)全て偽書とされたのです。
かってヤマタイコク(山台国)はカラのモノにより、卑(卑しい)弥呼と嫌な名前で書かれるようにされてきたのです。
それで奈良の遺跡に絵が残されたのです。
(高松塚にカラ風の服装の女性やキトラ古墳に獣頭人身像が残されている)
聖徳太子の姿も(唐の衣装)そのものです
参考:高松塚古墳
参考:聖徳太子
引用元: 2019年11月29日(金) ホ・ツマ・ツタエ、カラの国、焚書
参考:西壁女子群像
日本の飛鳥時代・奈良時代の和服は聖徳太子の大化改新によって、隋王朝と唐王朝の漢服の影響を受けた。
引用元:漢服
(古墳に)カラの人間の姿が描かれているのは、そこを(石室)を占領したと知らせているのです。
参照:高松塚古墳の壁画
参照:キトラ古墳
引用元: 2020年12月8日(火) ソラからの連絡役のミナノコたち
・漢字の歴史書はカラ(唐)のモノが書いた
「歴史書は原点に戻ってほしいのです。
最初から難しい漢字が出てきたのではないのです。
最初はカタカナをヒミコが考えたのです。
けれどもそれ等は消されてしまったのです。
漢字の歴史書はカラのモノが書いたモノです。
そして(権力者の都合の良いように書き換えられ)違う意味で伝えられたのです」
引用元:お知らせ
「”ぬかたのおおきみ”(額田王)です。日本書記を書きました。
私(額田王)は大王(物部)の娘でした。親が殺されたので、愛人にさせられたのです。
奈良は大きな沼でした。ヌカタとは、”ぬかるみの土地”のことを伝えたのです。
それまでの倭の国のことは、一切書かないで、自分たちのことだけを書き残したのです。
私が書いた部分はヒミコの文字(ホツマモジ?)を崩したモノで、カラ文字を書いたのが、カラから来たモノたちでした。」
引用元: 2020年12月8日(火) ソラからの連絡役のミナノコたち
・漢字の成り立ち
日本の歴史は、突然、(難しい)漢文で書かれた古事記や日本書紀だけが、正当派でその他のホツマモジなどは偽とされています。
けれども初めて人間(日本人)が文字を持つ場合(書物を書くとき)、(難しい)漢字から始まるでしょうか?
(カタカナ ⇒ 簡単な漢字 ⇒ 難しい漢字 と発展するのが自然か。)
引用元:お知らせ
・焚書
(カラからきた)時の権力者によって、漢字で古事記や日本書記が書かれた後、焚書がなされたようです。
・・・
古事記、日本書紀が完成した頃、元明天皇の『年号を和銅と改めたまふ時の宣命』(続日本紀)にこうある。
【亡命山沢 挟蔵禁書 百日不首 復罪如初】
(禁書を持って山野に逃亡している者は100日以内に自首しないと恩赦を与えない)
引用元:https://utukusinom.exblog.jp/22840987/
・・・
引用元:お知らせ
・秦氏
・・・日本における猿楽の創始者は聖徳太子の寵臣・秦河勝であったとされる。河勝は太子に従って物部守屋討伐などに功を挙げる。・・・
引用元:能=猿楽の金春流
「秦氏によりカラから漢字が持ち込まれて、書物として記録されることになって行くことを知らせました。
そしてイシカミの仕事を、秦氏がしたように伝えられるようになって行ったのです」
引用元: 2020年7月2日(木) 物部の祖、十勝岳、・・・
参考:秦氏
・参考文献
参考:中国唐時代女性像