寂しいしか言えねぇ。
「嫌だったら泣いていいんだよ」「我慢しないでいいんだよ」
「大丈夫。泣いてもいいんだよ」
そんな言葉をかけてもらいたかった幼少期。
「もう我慢ができないって泣く子だった」幼少期。
「あなたはバカなのか」と母に頭を何回叩かれたか分からない。
父に文句(正論)を言ったらお尻を叩かれた。恥ずかしいのと、悔しいのと屈辱的だった。
誕生日を祝われない子供は、かなりの心に衝撃が残っていることに今更気が付く。
イエスキリストの死んだ日だけを記念日として扱う母と
子供の誕生日に贈り物1つ、ケーキ1つ用意したことがない父。
でも我慢した。?
違うな。我慢した。かな?やっぱり。
ん・・・・。そんなもんだと思っていた。が正解かもしれない。
誕生日にこれ買ってもらったのーって話をし合わなかったから、他のお家が
どういうものか分かってなかった。
クリスマスも。あ。だから親から「プレゼント」というものをもらったことがないんだ。
寂しいと思うようになったのは、逆に大人になってからのような気がする。
母からは「あなたを産むのに1週間もかかって大変だった」って話をされて
「ごめんね」と思っていた幼少期。
ああ。わたしはずっとずーーーーーーーーーーーーーーーーっと
寂しかったんだ。
もうすぐ人生半分みたいな年齢になっても やっぱり寂しい。可哀想。わたし。