あの小さな家に楽しい思い出はない
今回は、わたしが覚えているいろんな出来事を書きたいと思う。
いつも、「あなたを産むのにすごく時間がかかった。1人で病院で産んだ。大変だった。ママの両親は結婚を反対していて孫のあなたが産まれて、やっと電話に出てくれるようになった」と、言っていました。(今も話す)父は、何もしなかったと。産んだのも沖縄で産んだし、いつも仕事で家には居なかったから今で言うところの「ワンオペ」というやつだったらしい。そして嫁いびりに会っていて、とても辛かったと。
わたしは、息苦しくなって、胸がぎゅーってなってました。
「わたしは母親に一度捨てられたと思う。離婚するって話になった時、「わたしは弟を連れて行くから」って母親に言われた。言ってることがすぐ変わるし、すぐ口出しするし(それって選んだ旦那もじゃないか?)だからとっても情緒不安定だった。だからわたしは、自分の子供をそんなふうには育てたくないって思って育ててきた。」(母の親は離婚は結局してません。)
母も親に愛されてないって思いながら生きてきて、そんな思いをさせたくないって思ってわたしを育ててくれたのだろうけど、それを小学校から聞かされていると「そういう思いで育ててくれてるなら、母の言うことは聞かないといけない」って思う。なんか、母を裏切るようなことは出来ないって。重っかた。
「あなたは何を考えてるか分からない」「黙ってないで何か言いなさい」怒られる時、いつも言われていた言葉。怒られた内容は、覚えてないけれど・・・。
何か言いたくても怖くて言えなかった。怖かった。母が怖かった。自分の気持ちを話せば、叱られる。「邪悪な考え方だ」「エホバはそんなことを望んでいない」って思っていたと思う。
なんかとっても息苦しいし、よく叱られていたのかもしれない。苦しかったから、自分の気持ちを書いてベッドの下の隠していました。日記の内容は「ママよりパパが好き」とか、「ママに怒られてムカつく。どっか行っちゃえ!死んじゃえ!」みたいな母への悪口。
そしたらある日、母から隠してあったノートを出されて、「あなたはそんなことを思ってるの?」みたいに怒鳴られて、叱られた。
そして、それは沖縄のおじいちゃんたちのところにまで伝わってて、沖縄に帰った時おばあちゃんにも膝を叩かれて叱られた。何時間か正座させられて。
わたしは、日記を勝手に読まれたショックと怒りと何か怖さと。
そして、沖縄のおばあちゃんから怒られた時は、何でこの人に怒られないといけないんだ?あなたは、母を捨てたことがあるんでしょう?って思った。でも、この人も怖かった。おじいちゃんも、ものすごく怖い顔をしてこちらを見てた。あの顔、忘れてない。