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人生を山登りにたとえる

60歳くらいのとある人生の先輩の話。
人生を80年として、山登りにたとえると
40歳が頂上で上り坂、残り40年が下り坂だと言う。

自分は、人生は死ぬまで上り坂で、頂上に登ったらまた次の山が目について、ひたすらそれを繰り返して登り続ける感覚でいた。40歳はまだまだ中間地点。でも、それを「折り返し地点」と定義するその先輩は、人生に何を思うのか?

先輩は言う。
頂上まで登る時間の中で、失敗したこと、後悔したこと、間違ったと気づいたこと、それらを頂上で整理する。そして、それらをひとつひとつ振り返り、確認しながら、自分の足元をしっかりと見て、ゆっくりと山を下りる。すると、途中に小高い山はあっても40年かけて登ったような大きな山は現れない。

ここで言う「山を下りる」概念とは、引き際とか、衰えとか、年齢による変化に応じて身の丈に合った生き方をせよと伝えているように感じた。

時を経て、知識も経験も肩書きも増えていく中、それを誇示しようとする人もいる。しかし、人はいずれ衰え、時代の中心にい続けることは難しくなり、やがて人生の終わりを迎える。最後は登山の入り口に戻ってくるのだから、いつまでも登頂の栄光にひたったり、無理に高い山を登り続けるのではなく、次の登山者が安全に登れるよう促すとか、周りの登山者を敬うとか、自分の小ささを知るとか、頂上で整理したものを改めて再確認して、終わりに向かう者として潔く生きろと伝えているように感じた。

1歩ずつ、時間をかければ山に登れるが、どうやって頂上に到達したか?

  • 真っ直ぐ登ったのか?

  • 蛇行しながら少しずつ高度を上げていったのか?

  • ヘリコプターを持つ家に生まれ、自分の足を使わず頂上に到達したのか?

いろんな登り方がある。それ以前に、どの高さの山を目指したのか?によっても、山頂で整理するものは変わる。
失敗とか後悔、間違いをしない人もいる。失敗しない一番の方法は、挑戦しないこと。挑戦せずに山を伝って一周する人もいる。

自分はこれまで、どのようにして山を登るか?しか考えてこなかった。でも、山を下りるという視点を持った今、それはどういうことか?これから考えて自分の答えを見つけていきたい。

自分は死ぬまで山を登ると言いきるのか?
それとも、先輩の言う通り山を下りるまでが自分の人生だと理解するのか?今はまだわからない。

ただ、失敗したことや後悔したこと、間違ったと気づいたことはたくさんある。そんな自分の経験を元に、これから山を登ってくる人の背中を押したり、それぞれに適した登り方を伝えることが、山を下りるということなのかもしれない。

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