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勝ち負けとか、敵味方とか
勝ち負けとか、敵味方とか、そんな次元じゃない。
自分にとって有益か無益か?合理的か否か?そんな次元でもない。
その人に笑顔になって欲しいかどうか?
そんな次元で生きている。
勝ち負けの場合
そもそも自分は勝負ごとにテンションが上がらない。一番になろうとしたこともあったが、上には上がいてキリがないことを認識した。仮に一番になったとして、そこには何があるのか?賞賛や肩書き?承認欲求が満たされる?
身の丈に合っているなら良いが、背伸びしてまで辿り着く場所じゃない。
敵味方の場合
そもそも何が敵なのか?自分に害を与える人?自分の考えに反対する人?それらが敵ならば、彼らは自分を見た上で攻撃してくる。ある意味自分よりも自分を知っている集団ではないか?敵とやらから自分には見えない自分を気づかせてもらえる。その気づきから自分が成長できれば、それって味方よりも味方ではないか?
確かに、自分にとって利益にならない人やこともある。でも、損得で動いたところで、損得に振り回されて大事なものを見失う。勝ち負けとか敵味方とか、線を引きたい気持ちもわかる。でも、この世界に生きる人間として、どんなことも自分の成長の糧にすれば、そんな線なんて引く必要ないのではないか?
何派、何組、何期生、どんな線を引いてチームを作ろうがが、チームを構成する個人は、みんなそれぞれ個性があって誰かしらの大切な人なはずである。
合わない人は必ずいる。
そんな人とは適度な距離をとればいい。否定するのではなく、上も下もなく、「あの人はそんな個性がある」と思っていればいい。そこに感情を持っていかれるのはもったいない。
自分に残された時間には必ず限りがある。
自分を求めてくれる人に笑顔になってもらいたい。残された時間は、その人たちの笑顔ために使うことでいっぱいである。
勝ち負けとか、敵味方とかよりも、自分にくるエネルギーを自分の成長に変換した方が、自分の周りに笑顔を作ることができる。