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同僚の話に思いを馳せる

最近、前職の同僚と話す機会があった。

同僚曰く、職場では「笑いがない」と言う。
「一日一度は笑おう」、職場の後輩にそう伝えているとのこと。

「風通しの良い職場にすること!」前職では、不祥事が起きる度に上司からそう言われた。かれこれ10年以上は聞いてきたフレーズだから、今もそれは変わらないようだ。

「風通し」とは何なのか?

「一日一度は笑おう」としている同僚。風通しが悪いから無理してでも「笑おう」としなければ笑えない現状。10年経っても風通しが改善しない現状。そこには「耐える日々」が繰り広げられている。

なぜ耐えるのか?

  • 下方修正してはいけないという暗黙のルールで縛られた年度当初の業務目標

  • 職員を人として見れない上司が評価する人事評価

  • その他、様々なしがらみ

みんな本音はあるものの、世間体や建前に制御されて自分を抑えつけなければならない。

今日も「耐えねば」「仕事に行かねば」「仕事に行きたくない」という思いで下を向いて、イヤホンで耳を塞いで自分の世界に閉じこもって通勤する人たち。「今日はどんなワクワクが待っているのか✨」そんな想いで通勤する人は少ないのかもしれない。

空が青くて高くなったとか
風が冷たくなったとか
虫の声が無くなってきてるとか
キンモクセイの香りがするとか
なんか今日の朝食は美味しいとか
五感を感じることすら耐えているのかもしれない。

いっそ、職場の窓を全開にして過ごしてみたらどうか?
寒いとか秋の匂いとか、蝉の声とか、五感を存分に使う機会が増えて、人として仕事ができるようになるのではないか?

今そこで耐えることに何の意味があるのか?
もちろん耐えることは大事。でも、耐える日々の先に何があるのか?体と心を壊すこと?病休という権利をずる賢く利用する術を学ぶこと?

答えは自分で見出すしかないけれど、耐えることで五感のみならず思考も停止してしまっては、答えを見けることすらせずに、定年を迎えてしまうのではないか?

服務の根本基準、「全体の奉仕者として公共の利益になるために勤務」することを、もう忘れてしまっていないか?

窓を開けないと、風は通らない。

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