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殺人的なジョークで笑うこと -JOKERを見て

映画、JOKERを見てきた。

前置きは省く。俺はバットマンシリーズはダークナイト3部作しか見ていないしコミックスも読んでいないし基本的にアメコミの映画はほとんど通っていない。
だが、あまりにも素晴らしいこの映画の記憶が鮮明なうちに何かしらの手触りを残しておきたいと思って書く。

本当に素晴らしい映画だった。辛く悲しく痛々しく、それでも画面のすべてが美しい。映画と直接の関係はないし多少テーマ性も異なる(ぜんぜん違うとは言わない)のだけれど、この作品を見ながら頭に流れてきたのはこの曲の一節だった。

今君の目が見ているのは 人が少しずつ壊れてくところ 
壊れて砕け散りゴミクズになった その後に音楽が始まるところ

主人公のアーサー・フレックは精神的な病を抱えていて、年老いた母親の介護をしながらコメディアンの夢を持ち、ピエロの仮装をして仕事に駆り出される。母親からも社会からも「笑って楽しませろ」というメッセージを受け続ける。
病で自分の意図せぬところで笑ってしまう彼は、貧困生活に身を置き、精神病院に収容され、多量な薬を飲み、それでもなお笑えと命令される。
コメディアンを目指す彼は、それでも多くの人が笑う場面では笑えず、ぜんぜん的外れなところで笑ってしまう。
「笑わせる」ことと「笑われる」ことの対比がここにある。

この映画で俺らが気付かされるのは、立場による悲劇と喜劇の逆転だ。

俺にとっての悲劇がお前らにとっての喜劇であったように、お前らにとっての悲劇が俺にとっての喜劇だ。

ジョーカーは自らに突きつけられてきたジョークを反転して問う。
「面白いだろ?笑えよ」と。
彼の悲劇が大衆にとっての喜劇だったように、大衆にとっての悲劇をジョーカーは笑いものにするのだ。

そして彼はスーパーヴィランとしてゴッサムシティに降臨する。何故か?そんなもの面白いからに決まっている。
俺らの幸福は彼の不幸の上に成り立っていて、ともすれば彼の幸福は我々の不幸である。

ラストシーン、TVを見た暴徒に担ぎ上げられ、パトカーの上に立った彼が見たのは何か。これまで望んでも叶いようのなかった心からの称賛だ。
「社会」から爪弾きにされてきた彼が受けた本物の敬意だ。
これを悲劇(喜劇)と言わずになんと言えよう。

俺は何も言わない。この物語を優等生な言葉で統括したりもしないし、ジョーカーに共感したりもしない。
この映画を見たお前らもきっとそうなる。「立場」に身を置くことの暴力性に気がつく。誰もが暴力性を持ち、ただ「普通」に暮らしていくだけでその暴力性は効力を発揮する。見ぬふりをするうちに真綿が首を絞める。誰かの首を絞める。
なんだっていい。俺には関係ない。笑え。これが一番の喜劇だ。

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