20190708

ヴィンランド・サガを見た。初回放送でいきなり3話までやれるのすごい。勝手ながらアニメ制作は常に万策尽きかけているイメージがある。
漫画は読んでないのでこれが初めての接触だがストーリーも面白そうだし、これからが楽しみ。

 wowowでやっていた「累」を録画していたので見た。
 松浦だるま氏はフォローしているけどどちらかというと小林銅蟲氏の関係者として見ていたので原作漫画は読んだことがなかったが、それでも、実写映画を原作者本人があそこまでベタ褒めしているのも他に見当たらないくらいの大絶賛だったので見たいと思っていた。あらすじは各自確認されたし。
 結果から言って、名作だった。実写化にあたって設定の改変はそこそこあったみたいだが、原作未読の身では気になる点はなかった。
 この作品は「演技」を舞台にしているがゆえに、実写化においてはそれを演じる役者がメタ構造となる。
 主演である「芳根京子」と「土屋太鳳」の二人はそれぞれ「累」「ニナ」という役を演じながら、「累の顔のニナ」「ニナの顔の累」の一人二役をこなす。
 劇中劇では『「土屋太鳳が演じるニナの顔の累」が演じる女優志望の娘ニーナ』となり、もはや観客は何を見ているのかがわからなくなってくる。
 この映画は「我々は何を見ているのか」という視線を暴き出す。
 芳根京子と土屋太鳳は背格好こそ似通っているものの、顔の造形に関しては瓜二つとまで言えないはずなのだが、鑑賞を続けるうちにどちらがどちらだったかわからなくなってくる(しかしこれは僕がこの二人の顔をほとんど認識していない状態で鑑賞したからという面も強い)。
 しかし「累」と「ニナ」は明確に演じ分けられており、所作・振る舞いや声のトーン、言葉の選び方でどちらがどちらの顔となっているのかがわかるようになっている。我々は人間を見る時、その顔だけをもってその人と認識しているわけではないということがはっきりと示される。
 顔は人間の本質ではない。だが、顔は人間の本質を作り出す大きな要因となっている。だからこそ累は歪み、ニナの顔を手放すことができなかった(まさしく「お前の唇にキスをした」!)し、累の顔となったニナはその醜い顔でいることと、自分の顔で成功していく累への恐怖を抑えきれなくなる。
 土屋太鳳の演技は凄まじいものがあった。ニナと累では演技力に雲泥が差があり、それを演じ分けなければならない。それも、うまいへただけでは無く別人となったように。
 最後のサロメを演じるシーンでは妖艶かつ激しいダンスを完璧に踊って「観客」を引き込み、心からの叫びのようにセリフを紡ぐ姿が本物の「累」のように見えた。
 この入れ子構造によってこのフィクションはより一層のリアリティを持つ。
 「演じる」ということの底知れなさを思い知らされる作品であった。

実在しない人間の実在する関係性に心砕かれる毎日 https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/1YN6R4IANN7NG