それはプレゼントではなく、ただの無償貸与です。
プレゼント(英:present)、それは和訳すると贈与である。
贈与の意味は辞書を調べると、
ぞう‐よ【贈与】
1 金品を人に贈ること。「現金を―する」
2 当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾することによって成立する契約。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
とある。
何が言いたいかというと、AがBに甲をプレゼントしたとすると、甲の所有権はAからBに移転する。
そして、所有権は民法で以下のとおり、定められている。
所有権は、物を自由 に直接かつ排他的に支配できる権利であり、所有者は、法令の範囲内で所有物を自由に使用し、収益し、又は処分することができる(民法第206条)。
所有権というと、モノをもつ権利と思われがちだ。これは、間違いではないが、所有権を所有権たらしめる強い効果は「処分」できることだ。
ただモノをもつだけなら、占有で足り、所有しなくても構わないだろう。
所有権は処分できること、つまり、捨てたり、売ったり自由にできることに、大きな意味がある。
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ここで、タイトルの話に戻る。私は、プレゼントにみせかけて、実質には無償貸与である事象に、疑問を呈したい。
特に男女の間において、この事象は起きがちだ。最たる例が、婚約指輪である。
プレゼントといって渡すにも関わらず、それを譲受人が無断で換金したら、譲渡人は怒るだろう。許可を得ようとするものなら、言い争いになる(そもそも、所有権は所有者が「自由」に支配できるため、許可などいらないのだが…)。
さらに不可解であるのが、なくす(遺失)よりも換金する方が、相手の反感を買うことだ(そもそも、所有権は所有者が「自由」に…以下省略)。遺失の場合は価値0になるのに対し、換金は価値の交換作業であるから、価値はイーブン、そのままである。パートナーたる相手が、損をするのは許せて、価値を保存している行為を喜べないとは、何事か。
もうそんなんなら、はじめから
プレゼントと言って渡すのをやめてほしい。
「これは指輪は無償貸与だよ」と言ってくれ。
そしたら、「契約書まこうか?」って答えるから。
風情がないとか、もらっている身にして図々しいとか、非難は沢山あることは承知だ。でも、言葉と実態が乖離していると、なんだかムズムズしてしまい、我慢すればするほど、頭が混沌としてしまう性分(機能?)だから、仕方がない。
直接会って話すと、前後の会話の文脈や関係性によって、大ひんしゅくを買う可能性が非常に高く、また、それに直に受けて耐えうるメンタルも持ち合わせていないため、ひっそりと、noteに主張をしてみた。
ひねくれ者のエンタメとして受け止めてくれたら、幸いである・ω・
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました(、..)、