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だから私は、

「私、自分の持ち物全部、どんな出会いだったか覚えてるよ。」

そう言って岬は、あれはいつ買ったとか、誰からもらったとか、どこで手に入れたとか、すらすらと私に教えてくれた。
全てが彼女の想い出の欠片であり、大切に残しているということがよく伝わってきた。


私はといえば、間に合わせで買った服でタンスをいっぱいにしたり、人からもらった好みじゃないプレゼントを躊躇いなく捨てる人間で。

「物を大事にできる人は、人も大事にできる。」なんてどこぞのミニマリストが主張していたけど、そんな自明なこと言わないでほしかった。


でも、私だって、違った記憶の絡め方ができる。

ものではなく、おかねで。

スカイツリーのタリーズでココアを飲んだときのお釣り100円玉3枚。珍しいお菓子の自販機からでてきた新500円硬貨。飲みに行ったときに「こんなにいらないよ。」と、財布から返してもらった1000円札。

一緒に出かけて、もう会えないかも と思った夜には、そのお金を取り出して保管するのがルーティンになってしまった。

一番厄介な おかね は、洋服を着ている最中に無造作に手渡しされた3000円。
そのときの鬱屈とした気持ちを綴ったメモと一緒に、今でも大切にしまってある。


これらのお金を使えないのは未練なのか、経験 を 想い出 に昇華させたいからなのか。
自分の真意はわからないけど、こんな残し方、あんまりだと思っているよ。


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