今回はいつも以上に個人的な日記です。 いつかこの苦悩(少し大袈裟?)を乗り越えた自分に宛てて、結論のない思いの丈を記します。 限りある命、何に魂を燃やして生きていく?日々、どんな心理状態で、どんな景色を切り取って、どんな人と感情を、言葉を交わしたい? 誰をどんな感情にするために限られたエネルギーを使いたい? そんなことを、つまりは「働くこと」について最近は考えています。 働いていると、目の前のことに直向きに頑張る自分を肯定できる時と、自分に申し訳ない気持ちになる時がありま
「諸行無常の響きあり」 この世のものはたえまなく変化し続ける。 万物は流転する。 中学生のときに『平家物語』のこの語り出しの一句に触れて初めて時間を概念として意識した。 「諸行無常」から連想する時の流れは栄枯盛衰、命が誕生して生きて死ぬというように「人生」や「生命」が紡がれていくイメージで、せいぜいこの地上界の次元で捉えていた。 ここ最近、宇宙というテーマに知的探究心がムクムクと湧いていて。物理素人なりに勉強していくうちに神秘が新たな神秘を呼んで興奮がおさまらない。という
自分の喜ばしい「変化」について。 わたしは生真面目/凝り性/敏感(繊細)とか、鬱になりやすいと言われる気質を揃えているので、2019年から2021年にかけて断続的に長い「喪中(=鬱症状)」を経験して以来、もうあの状態には戻らないように割と注意して過ごしています。 その後も祖父とのお別れや仕事でoverwhelmedな状態が続いたりなどで黄色信号が点滅することが何度かあって、脳回路の癖にならないようにと、日々セルフケア、セルフラブに邁進(笑) が、しかーし!「あれ?この一
昔から春はどうも肩肘を張ってしまう。 灰色で重苦しい冬を乗り越え三寒四温に転がされているうちに、爛漫とした春が唐突に訪れる。燦々とした陽光が空気をあたため、人々の装いは彩りを取り戻し、草木は待ってましたと言わんばかりに萌え出る。 変な話だが、私はそのあまりに唐突な陽気さに付いていけなくて気後れしてしまう。もう少しグラデーションが欲しい。 陽気なお天気に浮かれていると、花粉、黄砂、朝夕の気温差、環境や人間関係の変化なんかで気づいた時には自律神経は乱れ、体は音をあげている。
どうしてわたしの心はこうも天気を鏡のように映してしまうのでしょう。特に薄暗いのに妙に眩しい曇りの日なんかはめっぽう弱い。一層のこと雨が降ってくれたらいいのにって思う。雨が降れば無理をしないこと、スロウダウンすることが許されるようで、少しは気が安らぐ。みんなもそう?みんなもそうだったらいいなぁ。 今日はおでこちゃんに引き続き、銀色夏生著「こんなに長い幸福の不在」(角川文庫)について。 タイトルの通り、作者がゆううつで暗い気分を選んで(下手な字で)書いた詩を集めたもの。例えば
一粒万倍日のようにお財布をおろしたり、何かを始めるのに佳い日ってあるでしょう? わたしは随分前から「noteを始める」きもちを温めていたのだけど、どうも今日がその日みたいです。桜がひらひら舞う暖かな土曜日に、気持ちがふわりと軽くなって、決心がついたのかもしれません。それに今日はお気に入りの少し遠い町にお出掛けするので、なんだか嬉しいんです。 左腕の手術をしてから2ヶ月が経つ。まだまだリハビリが必要だけど、もう一人で重たいリュックも背負えるし、髪の毛だって両手で乾かせるし、遠