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壱章 四話 変異

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 亜樹さんの事。ナッツさんの話、やはり理解しきれない。ずっと夢の中……夢遊病者のようだと錯覚させる。

 明日のアルバイトはおあつらえ空白だとねじ込んだ脚が不躾ぶしつけ篝に向かっていた。も掻くも容赦無く夢語りに引き寄せられているようだ。

――雑居ビルの六階、一番奥の黒地の看板。

 目を覚まさなきゃ、きっとここには何かが……僕はそんな思いに目を閉じて装飾されたドアを引いた。

 朱い照明のせいなのだろう、入った瞬間に視界がぼやけて焦点が合わなくなる。平日の夜八時、どうやら今夜は空いているようだ。篝さんはカウンターテーブルの中間程におしぼりを置いて席を誘った。

 カウンターの席に腰を落として直ぐに空席を二つ挟んだ伊丹さんが声をかけてきた。覚えていたようでナッツさんは一緒じゃないのかと思ったようだ。その会話の中で伊丹さんに名前を尋ねられ、ナッツさんに言われた通りに “ 森田 ” と名乗った。だけど何だかバツが悪い、久しぶりに嘘をついた気がする。

 今夜はナッツさんと待ち合わせている訳では無く、自分の意思で篝の扉を引いた。頭の中の霞みを無くしたかったんだ、そうしないと何かがおかしくなってしまうような気がして。だけど異世界ような雰囲気に早くも呑み込まれていく感覚になる。

 もしかしてこれがナッツさんが言っていた事なのか。

 そんな事を考えていると目の前に黄金色のグラスが差し出された。ナッツさんを真似て注文したのはウイスキーのロックだ。カウンターの中の篝さんはグラスを拭きながら伊丹さんとなにやら神妙な顔付きで会話を交わしていた。

「そういえば伊丹さん、例の事件は解決したんですか?」

「あぁ、結局発作的な窒息死って事で決着さ、いろいろ調べる羽目にはなったけどな。ここでの顔見知りだからな、元々なにか身体が強くないっては聞いていたが若い子なのに本当に残念だよ」

 伊丹さんがさっきまでの明るい表情に影を落とす。篝の客だったって事だし、もしかしたら伊丹さんにとって近い存在の人だったのかもしれないな、でも死因が亜樹さんと同じ窒息死ってそんな事が続くなんてありえるのか。

「か、篝さんっ、僕が最初に来た次の日っ、ぼ、僕と城川さんはここに来ましたよねっ」

「いいえ、その日は店休でした。森田さん少しの間に雰囲気が変わりましたね、何か優しくなったような。髪型のせいですか?」

 何か無理やり話題を変えるような感じだ……っ痛、冷房が強いせいなのか、ここ数日成長期のようにひどく関節が痛む、今夜はさらに軋むようだ。

――「なっ……お、おい、森田っ時間に遅れているからもう行くぞっ」

 偶然、たまたま来店し席を引きかけた脇から僕の顔を覗き込んだナッツさんが、唐突に僕の肩を掴み退店をうながすと、そのまま有無うむも無くタクシーに押し込まれた。理解できない突然の事に、何かダメな事でもしたのかと不可解な空気をよどませながら十分程で小さなビルの前に車は停まった。

 二階建てのビル。ナッツさんに連れられるまま階段を上がりドアを開けると、そこは古びたソファーや机が置かれていて、まるで事務所のような部屋だ。

「ここは父親が残してくれたビルなんだ。まぁ、今は私の寝床だ。それよりなんだそれ、お前そうゆう趣味だったのか?」

「えっ、何がですか?」

「何がですかって……篝の朱い照明だとえらく具合が悪いのかと思ってあせって連れ出したのだけど……クスッ、そうか。蛍光灯の下だとなかなかの美人だぞ、ほら」

 と、ナッツさんは手元近くにあった手鏡を持ち上げて僕に向けた……映し出された様相に僕は驚愕した。僕だ、鏡に映っているのはたしかに僕だ……で、でも……でも……髪は細く垂れ色肌は白く、唇と頬はほんのりと赤い……化粧をした女性が鏡から眼を合わす。

「そうゆう趣味だったのなら言ってくれたらよかったのに」

「とっ、とんでもなっ……僕は、僕は何もやっていないっ、」

「え……っこ、これって化粧とかじゃなかったのかっ?」

「な、ナッツさん、なんですかこれ……ぼ、僕はっつ……痛っ」

「お、おいっ、おい天久っ、どうし……」

 雑巾のように身体ごと絞られたような激痛が襲った、一気に意識が薄れ僕は床の冷たさを感じたのを最後に意識が途切れた。

――あっ……目を開けると視界に長細い蛍光灯が見えた……そうか痛みで気を失ったんだっけ。

「お、どうだ……天久ぅ大丈夫かぁ?」

 心配気な表情でナッツさんが覗きこんでいた。深い呼吸を取り戻した時、他の気配に視線を動かすと、白衣を着た五十代ほどの男性が立っていた。

「ゴホッゴホッ……とりあえず鎮痛剤と安定剤は効果あったようですね、まぁ安定剤は一番強力なヤツを打ちましたしね」

安西あんざい先生っ……げ、原因って、」

「ですから私は安西じゃないですよ、原因が分かったら私は報道されるか表彰されますよ。可能性ならホルモンの暴走……偶然の。とにかく痛みが治まったのなら経過を見るしかできないですね」

 白衣を着た男性はお医者さんなのだろう。それにしては何か気迫があるというか……武道家か何かの人なのかな、

「手間などかまいませんよ、お父様には随分と世話になりました。それにあなたは鏡子きょうこ様と同じように大切な人ですからね」

「先生、すみません……鏡子さんに連絡を取ってもらえませんか?」

→次話 ウロコ

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ゆきの
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