最大公約数。
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「オデンの中に豆腐は入らないでしょ?」
薄紅はすっかり深緑になる頃だというのに鎮座した祠であるかのような四面で腰に布団を跨ぎオデンをつついている。雪乃さんの寒がりはさも相変わらずだ。
左眼の違和感には随分慣れたのだろう。夢先を僕に明け渡した雪乃さんはまるで冥を隔てるよう撫でる前髪を嫋々と弛す……それは湯気の霞みを無くし艶までを醸していた。
「で、入れちゃったんですか? 豆腐っ」
「パスカルの賭けだよ。いいじゃないのさ、不味くなる事でもないのだし」
それは一体何の理屈だと問うも無く豆腐用のオタマをと膝を支えた僕は存分手遅れという事だろう。
ーー昨夜、雪乃さんのお店で聞いた話だ。
「属すれば従えという事でしょうか。確かに安堵を感じるには属無しには不可能やもしれませんね」
カウンター。さらりと左眼を覆う髪を揺らし雪乃さんはグラスを傾けていた。
抑え目の音楽が重なる舞台で “ 何処ぞやの住職 ” は雪乃さんに “ 仕事をひとつ ” とさながら持ち掛けているようだ。
「でもキミは嫌うはずじゃなかったのかな? そのような隔たりを」
ーー
聴かぬよう紫煙を昇らせた眼の奥。『……ヤレヤレ』といつぞやの雪乃さんが微笑んだように見えた。
“ 個 ” なんてモノは無いの。私は中今の最大公約数を舞っているだけ……でもねーー
ーー
「キミ自身の幸せとか寂しさはあるだろう? それが当然だっ」
「住職様ですよね……それはもちろんです。ですけれど私は深すぎるほどに愛されています。
八百万、草木、月の散りばめと太陽。そしてカノカタと左の怪……これ以上の幸せなど既に望みようが無いのですよ」
カウンター越し。齢ヒトまわりは上であろう彼は雪乃さんの言葉に溶ける氷を待たずにドアを引いた。
ーー
鬼が笑うって言うでしょ? ほら、コイツが何処に生えていたモノだとしても例え形を変えてしまってもツゲであるのだもの……未来を危惧なんて滑稽でしかないと思わない?
ですけれど……やっぱりコレはただの “ 湯豆腐 ” ですよ雪乃さん。
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