私の「心に合う」ファッション
〜注意〜
映画「エゴイスト」に触れている箇所があります。物語の本筋のネタバレはありませんが、予備知識ゼロで観たい方は読むのをお控えください。
3月某日、「エゴイスト」という映画を観た。
劇場を出ると、外があまりにも明るくていやになった。物語が心のなかに居座っている。重たくてたまらない。
お腹が減って、近くにあったカフェに入る。なぜかスパナみたいな持ち手のナイフとフォークで、卵や野菜がのったパンのようなものを食べる。フライドポテトも食べる。
そそくさと出て次の用事へ向かう。初めて歩く道。よく晴れていて、長袖一枚なのに汗ばんでくる。人通りはそこそこ。アスファルトが太陽を照り返して、視界はうっすらと橙色に染まって見える。白昼夢のようだ。
映画の印象的な場面を反芻する。恋人と住宅街を歩いているとき、「見られてしまうかもしれないから」と手を繋ぐのを拒絶するやりとり。恋人の実家に行く道中、「恋人の親に会うなんて緊張する」と言う主人公に「恋人だなんて、言うわけないでしょ」と返すやりとり。
恋人同士のたわむれだ。二人とも笑顔だし、傷ついた素振りも見えない。でも、これが当たり前でいいの? 同性というだけで、こんなにささやかなことさえできないの?
私は同性に恋をしたことがない。当事者ではないはずだ。それなのに、私の物語だと感じる。こんなにも胸が痛くて苦しいのは、共感性が高いから? 違う。じゃあ、どうして?
私は自分がマイノリティだと感じている。私は、私のアイデンティティの一部を隠しながら生きている感覚がある。
鏡を見ると、女性が映っていることに少し驚く。
書類に記入するとき、性別欄でまばたき一回ほどの時間だけ逡巡する。「私の体は女性」と考えてから女性に丸をつける。
高校の同窓会、何を着てもいいカジュアルな場なのにスカートを履かないといけない気がする。
私が自分をマイノリティだと感じていたのは、日々、女性として扱われることに違和感をおぼえていたからだ。私の体は女性だけど、自分が女性であることにしっくりこない。かといって、男性になりたいとも思わない。自分の心に性別は無いと思っていることを、今さら自覚した。
今まで違和感をちゃんと観察しなかったのは、マイノリティとして生きる覚悟がなかったからだ。周りの人たちは当たり前のように女性や男性として生きているように見える。私の考え方を受け入れてくれる人はいるのだろうか。不安で体のあちこちの神経が絡まってもう生きていけない気がしてくる。
でも、大丈夫。誰かに愛されることよりも、自分で自分が何なのかをわかっていることのほうがきっと、ずっと大事なはずだ。
私が自問自答ファッション教室へ行ったのは、女性でも男性でもない自分の「心に合うファッション」がしたかったからだ。私はファッションで自分をつくりたい。
ブランドのサイトを見ると、世の中の大体のファッションアイテムは男性か女性に向けて作られていることがわかる。
ファッションとの闘いが始まったのだ。
〜感謝〜
自分を生きる覚悟をしようと思えたのは、自問自答ファッションと仲間たち(自問自答ガールズ)に出会ったから。自問自答ファッションはいいぞ‼️
ムーンプランナーの製作者さんの自問自答ファッションのお話。熱量と覚悟がすごい。この記事を書く勇気をもらいました。
(2023年春夏からムーンプランナーを使いはじめましたが体質に合ってるっぽいです✌️ロックで優しい手帳をありがとうございます)
〜余談〜
今日開催される自問自答ファッションのイベントに現地参加してきます!制服化ぜんぜんできてないけど!楽しみな予定を締切にするってイイね‼️
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