禁酒日記18日目 無敵の人になりたい

朝飯。具なしペペロンチーノに卵だけ乗せた。唐辛子はなし。昼飯。コンビニ白米、納豆、豚生姜焼き、カット野菜、ギリシャヨーグルト。晩飯。スーパーの豆腐ハンバーグ、値引き寿司。昼間ほとんど動かなかったので、夜80分程度歩いた。

たくさん歩くと眠くなる。これを書いている今は0時前だが、もう気絶しそうだ。今まではこんな時間に眠くなることはなかった。それどころか、眠くないからどうにかして寝るために酒を飲んだりもした。歩くことは酒を飲むことと似ている。最近は歩きながら音楽を聴く。じっとして音楽を聴くより多少はマシだ。でもやはり音楽は酒と一緒に聴くのが最高だと思う。酒と音楽はとても良い組み合わせだ。飲みながら聴く音楽は最高だ。どんなアンプやスピーカーも酩酊には勝てない。にも関わらず、酒に酔った状態で聴く音楽は記憶に残らない。

そうだ。楽しいことは記憶に残らないのだ。嬉しいことも、幸せなことも、記憶に残らない。そうやって、人生は溶けてゆくのだ。時間は消えて行くのだ。酒を飲んでいようとそうでなかろうと、幸せは今ここにしかない。過ぎ去った過去の幸せは反芻できない。過去の苦痛はいくらでも反芻出来る。憎しみも怒りもすぐに思い出すことができる。しかし幸せは思い出せないのだ。

ネガティブな感情は、後で思い出せるくらいに頭の明晰さを保つためのスパイスのようなものなのかもしれない。人間は楽しいことよりも苦しいことや辛いことのほうをよく覚えている。感謝よりも恨みのほうをよく覚えている。ポジティブな感情は酒みたいなものなんだ。幸福は、人間を忘却に導くような性質を本質的に持っているのだと思う。

それにしても眠い。気絶しそうなくらいに眠い。この眠さが、文章を酔っ払いのそれのようにさせているのかもしれない。もしくは酒をしばらく飲んでいないせいでシラフの時も酔っ払いのようになってしまっているのかだ。酒を飲んだ時に発散できる心の中のある部分が、出口を求めてシラフの時も表面に出てこようとしているのかもしれない。投げやりだったり粗暴だったりする部分が出てきているのかもしれない。

それは悪いことではない。酒を飲まないと本性が出せない自分は嫌だったんだ。シラフで酔っ払うことこそが人生の悟りかもしれない。シラフでいながら酔っ払いのように他人に無礼な態度をとり、立派なスーツを着た社会人や立派な家に住む奥さん方に対して多大なる迷惑をかけたい。この世に復讐をしたいのだ。シラフで酔っ払った結果、とにかく俺はこの世に対して復讐をしてめちゃくちゃのバラバラに踏み潰して砕いて血の色に燃やし尽くしてしまいたいのだとわかった。

そうだ、無敵の人になりたいんだ。

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