禁酒日記28日目
朝はカツパン。昼は食わず。夜焼肉。暑い。今日はほとんど動かなかった。
能力のある若い人が好きだ。もちろん能力がなくても基本的に自分より若い奴のことはそれだけで好意的に見てしまうバイアスがある。自分のこの偏りが何に由来するのかわからない。普段の生活で若い人と接する機会があまりに少な過ぎるので、若者に関して勝手な期待を抱いているのかもしれない。若者全体がうっすらと好きなのに加えて、賢くて能力のある若者は特に好きだ。さらに、適度な謙虚さが備わっているととても良い。何か支援めいたものをしたくなる。多分自分に子供がいないことも関係しているような気がする。自分がまだこの世にしがみつくとするならば、能力のある若者がクソな環境から出ていけるように手助けをしたい。そのための事業をやりたい。
禁酒しだしてしばらく経つので、ようやく読書をするようになってきた。昨日は『アナーキー経営学』(高橋勅徳)を読んだ。複数のトピックに軽く触れる程度の深さの本だが、著者の視点は経営哲学系のビジネス書にはあまりないもので、小規模零細事業者に焦点があたっている。その意味でアナーキーというのは間違いではなく、俺自身小規模零細事業者なので、個人事業主や一人親方は野生のアナキスト(かつ経営者)であるという観点は全くその通りだと思う。零細事業者は税金や制度に対して敵対的だし、どうやって補助金をかっぱらって懐に入れるか、どうやってパクリ商品を売るか、どうやって楽して儲けるか、しか考えてない。普通の零細事業者は怠け者なので、細々と暮らしが成り立つ程度稼いで満足する。勤勉な零細事業者は店舗を増やしたり、判断をミスって閉店させたりを繰り返す。ダメな零細事業者は店の前で友達とBBQをし始めて1年かそこらで店を畳むが、楽しそうではある。
今日は『人間たちの話』(柞刈湯葉)を読んだ。読みやすいのに適度に知的であり、今風のSFという感じがする。漫画のように読める。SFとして稚拙というわけではない。透明人間の話だけは設定に無理がありまったく納得いかなかったが。特に表題作の「人間たちの話」はよかった。男同士の話なのだが百合小説や百合漫画と似た雰囲気を感じる。ホモジェニックな関係性がキーになっているので百合というたとえは遠くないと思う。こういう小説だけを無限に読んでいたい。生成AIにこういう小説を無限に生成してほしい。そうすれば俺の意識は常に小説への「気散じ」に支配されて生きたいだの死にたいだの考えなくなるだろう。
その人と話すと元気になれる人というのがたまに現れる。そのような人が身近にいるということは幸せなことだ。そのような人に多数囲まれていれば、死にたいなどと思うことはないだろう。そのような人が身近にいるのに死にたいと感じることは、ある種の申し訳なさを伴う。だがそれはその人が悪いのでもないし、誰が悪いわけでもない。自分のような劣った生き物がこの世に存在していることが致命的に悪いのだ。
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