令和の怪異になったが、それでもどっこい生きてるよ
クローズ就労で働いているあおたです。
前記事を一行でまとめた「カウンセリング高価すぎて底辺労働者が継続とかできるか、ふざけんな、保険適用にしろ(値段下げろ)」に目を通して下さった方が結構おられるようで、これが誰かに共感されてたらそれはものすごく嬉しいことです。
あの後、色々あって「もしかしたら現在の状態でWAIS-4を受けられるかーもーねー」と話が進んで小躍りしています。ACかADHDか知らんが自分の特性をはっきりさせたいと常々思っていたので。ただ私を担当して下さっている臨床心理士の先生からは「ACの可能性の方が大きい印象がある、WAIS-4は難しいかも」とはっきり言われています。
いやいやACだろうがADHDだろうが、私が、今、生き辛いんだって! だから傾向を知りたいんだよ、それを元に楽に生きれるように色んなこと試してみたいだけなんだよ!
30代前半、ADHDと診断されたので、色々な本を図書館で借り漁って(休職中は生きてくだけでしんどいわね。自分を取り巻く世界が借金取りに見えたわホントに)数々のことを試してみたが何故かうまくいかない。
今ならADHDは濃淡があって、その方法が向いてる人と向いてない人がいると分かる。でもその時は「自分は何をやってもダメだからもう死んでしまいたい」ってずんずん底に沈んだ。躁が終わり、鬱が来ている時だった。しかも私は躁の名残で元気溌剌とまではいかないが歩いて15分のスーパーに行けるくらいは体を動かせる状態だった。いい感じのマンションはないけど、おあつらえ向き簡単に侵入できる線路はあった。つまり1番自殺を実行しやす状態だった。あの1週間、背中にべったり張り付いていた「死にたい」は未だに恐ろしい。四文字熟語で勿体ぶった感じで書くと「希死念慮」になるが、私にとってはただただ「死にたい」しかなかった。シンプルで馴染みがある分こっちの方が怖い表現だと思うのだけど。あれだけは本気で二度と味わいたくねぇなぁ、と思っている。
まあとりあえず、どっこい生きてます。
適当にTVをつけた時に賛否両論のパリオリンピックが放送されていたら「みんながんばれー! そして私は若い人からしか出ないエナジーを吸収するんだー!」と応援しながら、本気でエナジーを吸収できると信じて深呼吸を繰り返してます。セーラームーンにそんな敵いたなぁ。私は若くないを通り越して、もはや妖怪の類になってしまったのだろう。もちろんエナジー吸収はおいておいても、応援という行為自体はすっごく楽しい。どの国の若人にも平等に声援を送り、エナジーを吸収する(した気になる)。やっぱり私は令和の怪異に変質してしまったのかもしれない。
本当はクローズ就労の生きづらさや仕事上での工夫とか発信する方が良いのかもしれないが、上手くいった仕事上の工夫とはないからな! むりむりのむり!
誰に見てほしいわけではない(そりゃちゃんとした自己顕示欲もあるけどさ)。
それよりも「誰かが見ている空間に何も隠さない自分の気持ちを投げる」これで救われることもある。本当のクローズの日記では補いきれない何かがある。
だからnoteを選んだわけなんだけど、つまり、身になること、ためになることはいっさいがっさい出てきません。代わりに誰かに対する誹謗中傷も出てきません。本当に私による私のための私の想いをすくい上げるための文章。それを公に放流できる今の時代って本当に贅沢だなって思う。でも現実的には贅沢できないお給料的しか出てないのでなんとかしてくれ本当に。定額減税が終わる来年マジこわ! まだ奨学金返済しとる身なんだぞこっちは!
最後にとりとめもなく叫び「完」とするのでありました。