うつわのこと
ねーぜんぶ散らかしてからじゃないとはじめられないの辞めよ 一旦すべて脱いでから着替えはじめる癖バイト先の更衣室では辞めよ いちばん終わってる状態で店長きたじゃん タイトル未設定の下書きが無限にあって
noteを書くのよ
ようするに(ようするに?)小規模な自分の部屋をつくってからじゃないとなにも安心してできないのかも でもすべての場所が自分の部屋である必要って全然、ないかもしれない わたしの部屋はひとつでいいかもしれなくて、でもひとつでも真にわたしだけのものといえる部屋がこの世にある…か?どこも、がんばってきれいに保たないとです バイト先は家じゃないです 家はわたしだけのものじゃないです かなしい結論 心のなかにあった部屋はもう無くなっちゃった!
バイトのメモに 心無い わたしは無い みたいなことを大きく書いてある 心を使うと終わるからです 接客というかレジを主にやっているので、わたしはわたしの心が来たお客さんに対していちいち反応したり形を変えたりするのを気持ち悪くて見たくなくて 本当に消えてくれよとおもってしまうので 疲れるので 疲れたくないので レジ打ちマシーンになりたくて
はたらくコツはたぶん 自分を信頼しないこと 自分オリジナルの手順を編み出さない自分の記憶力を信頼しない オリジナルの笑顔しない レジでいちいち人対人をやりたくなくて あー サボってる サボってるよな わかる 傷つかないなんてサボってる !や、それには断固反対 傷つくほどよいとか、苦しむほどよい創作ができるとか、そういうのには全身で反対していくと決めてるから
だから人のかなしみや苦しみを泥棒して自分が痛がるのももういい加減にしたい わたしが空っぽなら他人をまるごと飲み込んでも違和感無くできるんだろうけどわたしには空っぽになれる器はないから すこし残ったわたしの心が取り込んだ他人の心に反応して違和感や痛みが起こって結局、吐き出してしまうんだろー でもわたしはわたしじゃないものになりたくて試してみたくなっちゃうんだよ それに、わたしはわたしで人は人だとか区切っちゃうとわたしは本当に想像力をもたないやさしくない人間になってしまうよ(想像力があるイコールやさしい人間であるとするのはすこし好きになれない考えかただけど)でもでもすこしずつだったらどうだろう ワクチンみたいに すこしずつ他人の気持ちや経験を取り込む 物語ってそのためにあるんじゃないの?小説を読んで、他人の気持ちを知る 音楽を聴いて 漫画を読んで 映画を観て アニメを観て わたしはわたしのまま他人の痛みがわかる想像力のある人間に成長する みんなそういうことを自然にしてるんじゃない?
でも わたしは わたしを 辞めたいんだよーーー
そういう自身を認めることからはじまる健やかさとか好きなもの、もう要らないって思ったんだよ わたしは なんかもう わたしという個人のままでだれかと関わって人間関係を築くとか そこに生まれる思いやりや共感や亀裂 したくないんだよ わたしはあなたの痛みが欲しいよ 頭の端っこからつま先までおそろいしてわかりきりたい わたしはあなたに為りたいよ
こりゃだめだ
うそうそ
がんばっていきましょう!泣
だから(だからというのが理屈としてもうどれほど破綻していても)小説をがんばる
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