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撮られるのは嫌いだった


撮られること


写真を撮られるのは好きですか?
最近カメラマンの友人に写真を撮ってもらうことがありました。
自分を撮るために画角や光の強弱、表情、仕草などにこだわりながら何十枚も撮られることはそうない経験です。

撮られることにはどこか苦手意識があります。幼少期は、家族旅行に出かけた際に写真を頻繁に撮りたがる母親からは逃げ回っているような少年でした。
イベント毎に集合写真を撮る機会が多かった小中学生時代。「早く終わらないか」と心の中はいつも後ろ向きな気持ちでいっぱいで、表情にもそれは出ていたのかなと。10年前の自分は、自分がこうやって何十枚も集中して撮られるようになることに抵抗がなくなるとはとても信じられないでしょう。

撮影場所は自分にとって特別な場所でした。
最初は緊張からか集中できず、表情も完全に強張っており、昔同様撮られることに対して違和感を覚えます。
ただ、だんだんと慣れてくると集中できるようになり、自然と様々な感情が湧き上がります。当時の日常や街の雰囲気から、もがき苦しんでいた自分。描いた理想を掴もうと必死に生きていた自分。現実の自分から目を背けつつも、突き付けられる現実。
「ノスタルジック」、の一言で片付く感情なのかも知れませんが、あの感覚は到底言葉には表せない感覚です。
そして気づけば、撮られることに夢中になっていました。その「瞬間」、を収める為、様々な工夫を凝らして底に眠っていた感情を引き出してくれた友人には感謝しかありません。

素敵な時間でした。撮ってくれてありがとう。

“Connecting the dots”

無事大学の卒業も決まり、社会人になる新たな生活への節目に立ちました。そんな今だからこそ、自分にとって大事なことを思い返してみます。

カメラのレンズと向き合っていると、非常に解像度の高い当時の「過去」に導かれる感覚を抱きます。
そんな、過去というものは自分が思うように改竄できてしまうものなのかなと。どんなに苦しい出来事も、数年経てば笑い話。になったりしますよね。

“Connecting the dats “
スティーブ・ジョブズの有名なスピーチからです。生前ジョブズは、将来必ず点と点が繋がると信じなければならない。点と点がいつか繋がると信じるからこそ、自分の心に正直になれるのだと語りました。その点というものは、後になって振り返ってみないと繋ぎようがないのだとも。

点を繋ぐのも自分次第、過去をどう捉えるかも自分次第。つまり、正確な過去というものは存在しないのだと見ることもできそうです。
ジョブズのスピーチは何度も聞いてきましたが、最近になってやっとこの点の繋がりの意味をきちんと理解できたような。

どんな過去も、レンズを前にノスタルジーを感じる今も、そんな瞬間を納めた写真を眺める将来も、それらをどう認識するのか。
どう認識するのかには自分で選ぶ自由があるのかなと。

社会人として、成果や評価はもちろん、人間関係などの様々な要因によって、自分が自分に勝手に箱を作り、その箱に囚われることになるのかもしれません。
でも、どうせなら、とは言いたくありませんが、将来、
“変えられなくて変えられる“ 過去というものを「宝物」という点として認識できるよう、自分の心に正直に生きていきたいものです。

人生の節目に立つ今だからこそ、改めてそう在る選択をしていこうと自分に誓いたいです。


Have a great day.

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