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続・君のために切った髪があるということ
こちらの続きです↓
前回「毎日ランニングを始めた」と書いたが、その部分について掘り下げていこうと思う。始まりは5/25、文哉さんの誕生日に発表された「FNS27時間テレビ 100kmサバイバルマラソン参戦」のお知らせだった。
マジか、100kmも。普通のマラソンでさえ42.195kmなのに。
そうしてすぐ公開された予告映像では、「自信あります」「勝ちます」と爽やかな顔で、いつもの調子で言い放つ文哉さんがいた。まぶしい。まぶしすぎるよ。
だって、陸上は、高校の時「他人のせいで負けるのが嫌だから」と選んだ個人競技だったんじゃないの。それが、赤坂ミニマラソンが決まったあたりから、OWVのため、ファンのためと何度も口にし、他人のために、自分が所属している団体が勝つため使うようになった。どうしてそんなことができるの。まぶしい。人生は、映画より“輝”なり。
具体的にいつのタイミングだったか忘れてしまったが、その頃文哉さんは「1日30km走っている」と公言するほぼアスリートの人だった。もちろん9枚目シングルのリリースも迫っていたので、歌やダンスの練習の前後で走っていたのだろう。
ここまでくると体調が心配になるし、心配するファンが多数だったが、そんな中、私はひそかにワクワクしていた。だってあの言動一致の権化・文哉さんが、行動で想いの強さを示す文哉さんが、ここまで本気で準備している。勝たないわけがない。
また勝って、OWVの名をお茶の間に広めてくれ。走って知名度が上がるなら、ただCDを買って、YouTubeを切り抜いて、友人をライブに誘って、それでもジリジリと足元の地面が無くなっていくような感覚に身を焦がされていた時より全然良い。本業に支障?むしろプラス。いけ、文哉。ブチかませ。
少し自分の話をしようと思う。
実はこのとき2ヶ月間休職していた。経緯はまたどこかで話すとして、ずいぶん症状も改善し、また働き始めるとなったタイミングでの文哉さんの100kmマラソン参戦。
ふと思った、走ってみようかと。休職中、散歩を日課にしていたので、ノーメイクTシャツジャージで外へ出ることへの抵抗がなくなっていた(それまであった、というのも私の精神異常性を表すモーメントの一つだが…)。また、明らかに体力が減っていることに気づいていたので、通勤に耐えられるか不安だった。
そんなこんなで、走り始めてしまった。
本当に何で?お前が?文哉さんの走行距離の足しになるわけじゃないのに?
ちなみに私の足はめちゃめちゃ遅い。高校3年間、50m走10秒の記録が変わることはなかった。付随して、走ることが嫌いだった。特に決定打になったのは、中学のマラソン大会だ。
全生徒対象で朝練があった。普段走っていない生徒のけが防止のためだろうとは思うが、それにしても真冬の朝から、まだこわばっている筋肉をよそに走らされるのは本当に嫌だった。陸上部の速い人たちビュンビュン抜かしてくるし。誰が今後の人生、好き好んで長距離を走るかバーカ!と思っていた。
でも、初めて、自分で毎日2km走ろうと決めた。タイムは気にしなくていい。キツかったら歩いて2km目指してもいい。そうやって、自分ルールで走り切った最初の2kmは、ものすごく気持ちが良かった。必要なのは、他人と競争しないことと、最初からうまくやろうとしないことだったのだ。少し、涙が出た。
2kmランは意外にも三日坊主にならずに続いた。天候や時間の都合でできない日もあったけれど、ほぼ毎日。むしろ一日デスクに座っていると「早く走りたい」と思いながら帰路につく日もあったくらいだ。キツくなっても「文哉さんもひとり走っているんだ」と思うと踏ん張れた。
それは、文哉さんがたびたびラン記録をSNSに載せてくれたり、あり得ない時間(本当にあり得ない時間、am 4時とか)にSNSを更新して「あぁ、今ランニングから帰ってきたんだな」と思わせてくれたり、ランニング終わりにインスタライブをしてくれたりして、現在進行形で頑張っている様子を伝えてくれたおかげである。
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文哉さんもまた、「『走り始めた』と報告してくれるファンがたくさんいて嬉しい」と各所で言っていた。なんとなく、踏ん張れたのは文哉さんもまた同じだったのかな、お互いがお互いのモチベーションになっていたのかなと思う。
だから、わかった。
君が孤独にならないように、走りたかったのだ。
久しぶりにステージに立ってパフォーマンスを披露した時、「やっぱりみんなの前で歌ってる時が一番楽しい。夜中に30kmとかひとりで走ってるから」と言ったり、自分の誕生日なのに「別にそんな人いないんだけど、ケーキ食べたら誰かに怒られる気がする」と言ったりする文哉さんを見て、ああ、この人はどこまで自分を追い詰めていて、そしてそのことに気づいていないんだろうと心臓が締め付けられた。
だから積極的に伝えた。毎日走っているよ、と。もう私のTwitterを見ている人はウザいほど知っていると思うけど、Twitterでもnoteでも対面でもインスタライブのコメントでも言い続けた。リリースイベントのハイタッチ会で「毎日走ってます!」と伝えたときの「マジ!?頑張ろ、一緒に!」と言った嬉しそうな顔が忘れられない。
そうして文哉さんは無事総走行距離1,000km、実に東京-大阪間を往復する距離を達成し、本番を迎えた。
その前日、彼のSNSに投稿された言葉は、
「QWVがQWVとして胸張って生きていける世の中にしてくるわ」
つまり、「QWV」と言って「あぁOWVのファンね」と伝わる世界にしてくるわ、ということ。OWVが好きだと言う枕詞で「知らないと思うんですけど…」とつけたり、「OWV?誰それ知らない」と言われたりしないで済む世界にしてくるということ。
「『OWVって有名なの?』と聞かれたら、満面の笑みで胸張って『ありがとうございます…!』って言ってください。」とか、雑誌でも“自分たちを胸張って推せるようにしたい”といった主旨のことをたびたび口にする文哉さんらしい。ありがとう、大丈夫、ちゃんと伝わってるよ。
7月20日19時。
100kmマラソンの会場へとカメラが移る。
1位を予想する企画では、まさかの粗品さんが、また文哉さんに票を入れてくれていて、粗品さんに話が振られたときに、文哉さんが一瞬映った。赤坂ミニマラソンからの縁、ありがたい。
スタートは指導してもらっていたうのけん師匠にもメンバーの本田くんにも見守られて、余裕ある表情で駆け出して行った。ま、スタート見れたし、あとはゴール手前の3km地点の中継から見れればいいかな。ちょこちょこ映るだろうけど、ずっと張り付いてるわけにもいかないし。うのけん師匠、5kmごとに現地の動画載せてTwitterで実況してくれてるし(それはそれで驚きだったけど)。私は明日別の予定あるんで寝ますわ。
翌朝7時。目を覚まして驚いた。
なんかTwitterのトレンドになってる。しかもおすすめ欄じゃなくて、ガチの日本トレンドランキングに、いる。#佐野文哉 と、#CODEOWV作戦開始 が。まず#CODEOWV作戦開始 ってなんだ、なんで最新曲の歌詞が?
理由はすぐにわかった。
夜中のOWV公式Twitterの投稿だ。
残り50km🦕💨💨💨💨💨#CODEOWV作戦開始#OWV_LOVEBANDITZ pic.twitter.com/YAMw0b4wyo
— OWV (@owv_official) July 20, 2024
爆笑した。
元気すぎる、ずっと“佐野文哉”してる。
さすがに普通のマラソンの距離を超えてきたあたりでしんどいんじゃないかというこちらの心配もどこ吹く風。ありがとう、気を遣ってくれて。
そして#CODEOWV作戦開始 と文哉さんのパートの歌詞のタグを新たに生み出して付ける運営も愛だし、そのタグを使ってマラソンを応援する人、OWVの宣伝をする人、トレンド入りさせるファン、みんな愛だ。朝から、ボロボロ泣いた。
予定終了時刻は11時だと聞いていたので、10時半くらいから気が気でなくなってPCの前に待機しはじめた。実はもう走り終わっているのでは?と思うくらい待ちくたびれたころ、ようやくマラソンの中継に切り替わった。
そこには、女性でたった一人残った金田さんと、ボロボロでお互い給水やタオルや氷のうを渡しながら、支え合って走っている十数人の姿があった。開いた口が塞がらなかった、この状態から3kmほぼ全力疾走をするというのか。まず、ハンデとして金田さんが先に残り3kmのスタートを切った。「がんばれ!」「行ってこい!」といった後ろからの男性陣の激励をよく覚えている。なんて美しいんだろう。
金田さん御年51歳で、20代の私より全力疾走していた。歪められたその表情に、私の心臓が壊れそうだった。しかも1.7km地点くらいまでトップ独走状態だったのだから。正直、金田さんが1位で終わるんじゃないかと思っていた。
画面に食いついていたのでひどく驚いた。なんかQWVの友人から電話かかってきてる。出ると、同じくマラソンの中継を見ていて、誰かと一緒に見たくてたまらなくなったとのこと。わかる。
そうこうしていると、金田さんの後ろに男子のトップ集団が追い付いてきた。そのなかには、当然のように、佐野文哉。まだスピードを落として、前の選手を風よけにしている。いいぞ、虎視眈々と、焦らずいこう。
金田さんを抜かし、一人、また一人、とトップ集団から離脱、いよいよ文哉さんと、モシモシ・いけさんの一騎打ちになった。文哉さんはまだまだ余裕な顔をしている。いける、この調子ならいける。
そして、会場のトラックに入った瞬間、文哉さんが勝負に出た。見たことのない必死な表情で爆走し始めたのだ。私は祈った。いけいけいけいけ!いや、この場面でいけ!って言うとややこしいな。爆笑する友人。そんな場合じゃないだろ私たち。ちょこちょこ振り返る文哉さん。頼む、振り返るな、失速するから。
しかし、最後の直線、いけさんのほうが速かった。「ダメか~~」とも「うわ速いな~~」ともとれない口角の上がった諦めの顔が、今でも焼き付いて離れない。
結果は惜しく、悔しいものだった。人生は甘くない、1,000km走っても報われない時もある。でも、自分のチームのために、ファンのために、ここまで真正面からぶつかれる人を応援していることは、間違いなく私の誇りだ。
よく言われるように、この世は性格が悪いほうが成功するのかもしれない。それでも私は、自分が任されたことにまっすぐに、不器用に、誤魔化さないで生きるあなたが勝つ世界であってほしい(他の選手がズルをしていたという意味ではない)。
もし道中で攻撃してくる人がいたら、私はあなたを悪意から守る避雷針になろう。いつだってそばで立っててやるよ。
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とはいえ、鈍足だからすぐ置いていかれるとは思うけど。「一年!ダッシュだよ!」という冗談もかっ飛ばしながら全速力で走るあなたを追いかけたい。すみません、文哉先輩。
文哉さんの挑戦は終わったが、またすぐ走る仕事が舞い込んできて、また走り出すだろう。本人の毎日の走り込みが終わっても、不思議と私は走り続けている。
本当に思い切って良かった。短い髪はランニングの邪魔にならない。
君のために切った髪が、夜風で後方へなびいていた。