理想を追うということ。
If it were said of us that we’re almost romantics,
that we are incorrigible idealists,
that we think the impossible:
then a thousand and one times we have to answer ‘yes we are’.
もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう「その通りだ」と。
Che Guevara
まず、皆様、沢山の応援本当にありがとうございました。
そして、改めまして宜しくお願い致します。
新しくなった山本大葵です。
今後の展望に関してはまた後日詳しく記述するとして、まずはこのコンテスタントとしての活動を振り返っての文章を書かせていただきます。
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目に見える結果として、賞を頂けなかったことは「悔しい」という気持ちよりも応援してくださった皆様に対しての「申し訳なさ」が大きいです。
でもここで一つご理解いただきたいのは、ソフィコンはミスコンじゃないということ。
だからこそ、期間中にはここをプラットフォームとして僕は自由な活動を行ってきたということ。
そして3か月半撒き続けたその種がすでに発芽してきているということ。
これだけで正直僕は大満足です。
表彰とその肩書だけがキャンパスコンテストの価値でしょうか。
表彰とその肩書だけが恩返しでしょうか。
絶対に違います。少なくとも僕はそう思います。
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僕を応援してくださってくれた皆様なら百も承知だとは思いますが、そもそも僕は「グランプリ」というものにそこまで関心は持っていませんでした。
正しくは、「自分」という唯一無二の個性を捻じ曲げてまで獲得するものではないと思っていた。なぜなら「多様性」を謳っているコンテストでそれをしてしまったらわざわざミスコンを廃止してこのコンテストを開催された意味がなくなってしまうから。
テニスコートで金属バット持ってるくらいばかばかしい。
その点においては僕は「自分」をしっかりと曲げずに芯を通して活動をすることができた。
その結果、
「ソフィアンズコンテストNo.6山本大葵」としての「ファン」ではなく、
「山本大葵」についてきてくれる「仲間」を獲得することができた。
それは決して簡単なことではないです。
だからこそ、本選を締めくくる感謝の言葉でも述べた通り
「皆様は僕にとって自分の夢にも負けないくらいかけがえのない存在」
なのです。
自分で言うのは大変おこがましいですが、僕は僕が思う限り
最も理想像に近いソフィアンズコンテストの多様性を担保する存在
に成れたのではないかと思っています。
覚えていますか?
このコンテストのメインテーマは
「自分らしく輝く。候補者一人一人がSparkleする。」
そこに上智大学らしさである「SDGs」がサブテーマとしてくっついています。
どうでしょうか。
僕は、この3か月半の候補者としての活動において
一介の悔いもありません。
去年までがミスコンだった以上、ミスコンの長い歴史で出来上がった地盤は盤石なものです。
1年そこらで覆るような容易いものではありません。
その環境下でこれだけいい意味で爪痕を残すことができたのは意味のあったことだと思っています。
たとえ目につきやすい、わかりやすい肩書がなくとも。
一番大事な本質というものはいつも誰にでもわかるところには落っこちていないもの。
何よりもはるかに価値のあるブレない自分というものがあればいい。
そう自分に言い聞かせながら。
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こんなオナニーみたいな文章を最後まで読んでくれた、
僕に賛同してくれた、皆さんがいてくれれば、
僕の未来は、そしてこの尊いコンテストの未来には一点の曇りもない。
革命を起こす最初の一手はいつも孤独なのだから。
これだけの仲間がいれば怖いものはない。
The desire to sacrifice an entire lifetime to the noblest of ideals serves no purpose if one works alone.
尊い理想のために一生涯を犠牲にしたいと言う欲求も、
一人でやろうとしているのなら何の意味も持たない。
Che Guevara