わたしには、絶対に共感した気になってほしくない人がいる『おいしいごはんが食べられますように』読了
『おいしいごはんが食べられますように』/高瀬隼子
「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。
職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。
ままならない微妙な人間関係を「食べること」を通して描く傑作。
2022年上半期芥川賞受賞作品で、職場関係を描く内容が話題になってたから読んだ。
買ったその日に一気に読み切った、わたしをわたしの嫌な気持ちを代弁してくれた気がして、
何度も何度も首を縦に振った。
すっごくよかった。当たり前に日々仕事をしている人に、読んでほしいと思った。
よくあるお仕事小説、というか、
明日も前向いて頑張ろ!みたいな小説じゃなくて本当によかった。
わたしたちの日々の仕事は、そんなきれいなものではない。ドラマチックな展開もない。
せいぜいあるのは、飲み会帰りに誰々と誰々が2人で消えた、それくらいの小汚いゴシップだ。
話題になっているから、もしかしたら彼や彼女も読むかもしれない。
でも絶対にお前はこの登場人物全員の誰にも共感してほしくない、と思う人が何人かいる。
どんな感想を持つのかは気になるが、絶対に共感して欲しくない。
どんな職場、コミュニティにも芦川のような人はいる。
わたしは芦川のような人が大嫌いだ。
自分で限界を引くことができて、マイワールドを押し付けることを批判されない人。とにかく許される人。
自分は押尾だ。二谷でもあるし、誰かから見たら原田さんかもしれない。
いや、もしかしたら大嫌いな芦川みたいだと思われてるかもしれない。
特に職場という環境においては、どんな人間ともある程度うまくやらなくてはならない、と思う。
頼むから、お前だけは絶対に芦川だと思って許されてもほしくないし、押尾や二谷だとも思って欲しくない。
誰にも共感できずにいてほしい。
お願いだから、そう思う。
特定の誰かひとりを恨んでこう書いているわけではなく、
なんとなく日々押し付けられている仕事や、話を聞くやり取りのの中で、ぼんやりいろいろなシーンが思い浮かぶ。
どれも「その裏でどれだけわたしが」「あなたたちはいいね、気楽で」そんな僻みをたっぷり含んでいる。
わたしは、頑張ってるね、あなたがいるから助かる、一番だ、って褒められたいんだろうね。
でも仕事って褒められるための場所じゃないから、やらなきゃいけないことだから。
わかってるのに、砕ききれなかったときに、押尾や二谷がいてくれてよかった。
少しだけこの嫌な気持ちの身代わりになってくれた気がした。
わたしは自分のことをできる、と思っている。
実際はそんなことはなくて、誰かに嫌なやつだと思われている、かもしれない。
誰にも嫌われたくないから、自信満々にわたしはできる、と言えない。強くなれない。
だからこうしてnoteにはき出す。
わたしの中のわたしは、芦川がどん底に落ちればいいのに、そう思うのだ。
だから、二谷の気持ち悪さがずっとモヤモヤして後を引く。
おわり