人にはそれぞれの環境がある、それでもやるならかかってこいって感じ
女性の権利、て難しい話よね、と思う。
社会進出の過程で不利に働く、長い歴史の中の性差による待遇差別などは
社会の仕組みが変わるべきだよね、と思う一方
すべてをすべての女にこうであれ、というのはなかなか当てはまらない。
だからきっとそういう主張をする時、主語はできるだけ小さく細かい単位の方がいいと感じる。
独身にも子持ちにもいろんな女がいて、港区にもいろんな会社があって、いろんな業種についてる女がいる。
主語を大きくしなくてはムーブメントは起こらない、でもその割に社会は女に対しても多様化しすぎたように思う。矛盾だ。
多様化してんのに、全然変わってない。超矛盾。
「女だから」と粗雑な扱いを受けるのであれば、それがその環境下で妥当な選択でないのであれば、自分の口で、手足で抵抗するしかないのだよね。それはそう思う。
ただ、それってほんとに「女だから」なのかは考えた方がいい。
「そのシーン」におけるポジションやまっとうべき役割、コミュニケーションの仕方や人物そのもののキャラクター...
自分が一番パフォーマンスを出せることを全うすればいい。
全部が全部「自分でやれよ」にはできないわけだから、よく言えば助け合いみたいなもんで。
私は女だが
社長や上司から一声あがれば積極的に走って答えに行くし、
お茶だって客に出すし、必要なら買いに走るし汲むし。
電話だって若手が(電話を取るのが弊社のならわし)3コールで取らないなら、そのあと誰より先に取る。
女だからとか関係ないが、仮に「男」がやんないやりたくないってなら、自分がやりゃいんじゃん?と。
だってちょっとやりゃ済む話だしマルチタスク得意だからさ、そのあと仕事だって自主提案だってやりゃいいし。
それはそれであっていいんじゃないか?
と思う。
そしてまた、女、性別の2番目扱いされて悔しかったこともあるだろが、助かったことだっていっぱいあるよね?とも思う。
というか私はたくさんある。
もともと先頭はあまり向いていないと感じるので、2番手から槍を使って権利だ規則だなんだと主張を突き刺したいのだ。
※過剰で身勝手な主張は受け入れられるべきではないが、多くが納得できる正しい権利は主張するべきだと思う
だから何か主張があるのであれば
その環境で妥当な内容を、同じ環境の人間で主張するのが本当は正しいのではないのかね。と。
それだけでは会社/社会が動かない、そんなときに、違う環境から声の大きな人が手を差し伸べられるようになったらいいな。と。
しばらく、虐げられるような環境には身を置いていないのでつい強気になってしまうが
女だから、感情論で、見通しが甘く、主張の先に自己満足しか残らない
...と、言われたくないからやれることはやるし、出せるうちは成果出し続ける。
男とか女とか関係なく必要なことは認めて、盗める方法は盗んで、自分が女で得できるならそれはそれで、使うよ。
女の敵は女、まじでそうだよね。
結託すりゃ強いだろうが、平気で裏切るし妬むし生き方考え方が色々すぎる。
その主張は正しい主張か?そしてその我慢は必要な我慢か?、すべてよく考えて生きていこうな。すべてが自戒、なんども自分で読み返せ、自分で。
おわり