知識不足はロジックと経験で考えるしかないのか。
最近noteを始めたのだが、もうすでにネタが尽きてる感がある。
そもそもnoteを始めた当初は、自分の、世界に対する不満や、内面を吐露する為に始めたので、それが無いということは、即ち現状に満足しているとも考えられるかもしれない、、
いや、そうではない、おそらく自分の書くという行動に対して抑制を掛けているのに違いない。というのは、自分の中で思っている世間に対する不満や批判の声、それらは結構知識不足なんじゃないか?という自分に対する疑念があるのだ。
例えば僕はホリエモンがあまり好きじゃない。
堀江に対する批判の言葉を綴ろうと思っても、その言葉や批判や考えの妥当性に疑問があるからだ。
人を批判するという事はある程度、その問題や人に関心を持たなければならない、ある程度知識が、要求される。
ここにある種アンチの矛盾のパラドクスが発生する。
インフルエンサーについてもそうだ。
僕が「中身空っぽのインフルエンサー」を批判した場合、そのインフルエンサーから排撃される。「中身があるかどうかはちゃんとみて判断しろ」
ある人間を批判したり攻撃する場合、その人間について知ったり発言の情報を調べて文献を読まないといけない。
嫌いなのになぜそんなことをするのだろうか?
嫌いな人間を批判しようとすると、その人間の動画やSNSを閲覧しないといけないという矛盾、、、
なんとも難しい。
まあそんなの時間の無駄だからやめればいいが、、
だが冷静に分析すると、なにも批判するのはアンチだけでなないはずだ。
ホリエモンは問題発言を多々することで有名だ。
その発言はホリエモン当人は正しいとおもって発言しているに違いない。
その概要にこそ着目すべきだ。そうすると嫌いなホリエモンのことを調べなくてすむ、、はずだ、、
たとえば、堀江はコロナワクチン推奨派なのは有名だ。それも自信はないが、ぼくが見る限りではそう感じた。
しかし、一方で巷では色々な噂が飛び交っている。
堀江はワクチンを散々推奨した癖に、実は打ってないとか、昔の発言では岡田斗司夫との対談で、あんなのは生物兵器ですとかいってたのに今では推奨しているとか、、
それには利権が絡んでいて、堀江は裏金をもらっているとか、、
どれも証明しようのない憶測で陰謀論のようなものだ。
だが、彼(堀江)の発言を鑑みる限り、それが全部間違えだとは思ない。
でも実際のところそれを証明するには、
かなり彼の動向を調べてあげる必要があるし、恐らくファンより彼にくわしくなってしまうだろう。
となると、彼のSNSでの発言の内容を都度、検討して、妥当性があるか考えるほかない。
つまりロジカルシンキングで考える方法である。
とまあ凡庸な結果になるが、、
こうなると、目的は本人を攻撃するところから、議論のフェーズに視座があがる。
SNSの場では、批判=本人への攻撃ととらえてしまう人がとても多い。
おそらくそれはファンや信者の影響もあるのだろう。
教祖様が攻撃されているのだから、彼らからすれば一大事である。
上記のように煽り文句でワクチンの妥当性をアピールするようだ。
そもそもワクチンを打つか打たないかは本人の判断に依拠するところがある。
かれの問題は、ワクチンを肯定して、それを打たない人間を徹底的に批判するところである。
「かなりの確率で予防できる」という部分、一体なにをもって予防できると断言しているのだろうか。おそらく読み取るに、重症化への予防という意味なのだろう。?
そもそもワクチンを打つか打たないかは本人の判断に依拠するところがある。
どちらにせよウイルスなんてものは、専門家だろうが、素人だろうがなにがどうなるかはわからない。ワクチンにしたって銀の弾丸はない。
それをアメリカの製薬会社が作ったよくわからないワクチンを両手話に受け入れること自体がおかしい、、
無論それをよしとして受け入れることは否定しない。
問題なのは、それを受け入れないことが愚かなことだと定義づけ、対立構造をでっちあげることである。
僕はワクチン推進派でも反対派でもない。
自分で考え、打って副反応が出てしまうのははっきりいって致し方ないとしかいえない、、、
ワクチンを打つ際にそれが妥当なのかどうかは究極的に誰も判断できない。
科学や医学は万能ではいから、、
結局医学であれ、僕ら素人であれ、過去の事例や経験から判断するしかない。
例えば僕であれば、「なんか専門家がああは言っているけど、コロナになったとき大したことなかったし、わざわざよくわからないものを体に注入する必要ないな。まあ重症化したときはしたときだ。」
これが普通の大人がする判断ではないだろうか?どちらにせよいろんなデータがあっても絶対的な正しさなんてわからない。
過去の事例と、自分の価値観を照らし合わせて行動するしかないだろう。